一月尽+【副島種臣の命日】

夜もすがら月蝕を見て一月尽/下田奉枝

復帰の句見てはもらへず一月尽/今西昭道
初午の朱き字のたつ一月尽/柿沼盟子
心なごむ絡繰人形一月尽/片山茂子
赤銅色の月出でて一月尽/田尻勝子
一月尽軒に下がりし鮭二匹/小栗釣月

さて、明日から二月です。
1/31・【副島種臣の命日】
西郷隆盛が死の際に「副島に期待する」と言った人物。
副島種臣(そえじまたねおみ)。

文政11年9月9日(1828年10月17日)~明治38年(1905年1月31日)
政治家なんですが・・・、有名なのは書。
書家でしょうね。
【帰雲飛雨】

革命的?象形文字?賛否両論ではありますが・・・。
【野富烟霞色天縦花柳春】

野(の)は烟霞(えんか)の色に富み、天は花柳(かりゅう)の春を縦(ほしいまま)にす。
と、読みます。
野はモヤ(えんか)がかかってしっとりして、自然(天)は花や木や果物などが溢れ出でる春を喜んでいる?
なんて、意味でしょうか(^^;)
私は好きです。
1月30日~七十二候・その72[鶏始乳/にわとりはじめてとやにつく]
今後の七十二候シリーズは、お休みします。
息の緒に我が思ふ君は鶏が鳴く東の坂を今日か越ゆらむ/詠み人しらず
*万葉人も卵を「鶏(とり)の子」と呼んで食していました。
塗椀に割つて重しよ寒卵/石川桂郎

二十四節気の大寒・末候、鶏始乳。

鶏が春の気を感じ、たまごを産み始める頃。
鶏は元々一年中産卵するのですが、
10時間以上の日照があると産卵が促進されるため、
春から夏にかけてが、卵をたくさん産む時期となります。

昔、寒い時期の卵は、栄養が高く滋養に良いとされました。
鶏は、日本へ弥生時代に家畜化されてモノが伝来したらしい。
一般的に食されたのは17世紀ごろからとか・・・。
ぬく飯に落として圓(円)か寒卵/高浜虚子
味噌汁におとすいやしさ寒卵/草間時彦
寒卵煙も見えず雲もなく/知久芳子
ひとすぢの柔毛はなさず寒卵/鷹羽狩行
産みたての温みを握る寒卵/佐々木スガ子
横になる言葉を立てて寒卵/中原道夫
臥せる児のおじやに一つ寒卵/小栗釣月
鶏始乳は、二十四節気の最後[七十二候の終候]、となります。
本日の[大寒・鶏始乳]が終わると、寒の内も終わり、暦の上では春となり(立春・2/4)となるワケです。
新しい節気と候が始まる、今年の立春は二月四日、ゆえに、その日から春の季語となります。
令和四年一月、【俳句愛好会・幹】今月の句、落掌致しました。
今年の雪は重いから大変だ。
変異株が猛威を振るっています。
連衆の皆さんは日々如何お過ごしですか?
私はすべてのLIVEが延期になりまして・・・残念。
でも、仕方ないですね、四月ごろには落ち着いて欲しいものです。
さて、今月の俳句愛好会[幹]の兼題は、【初鏡】でした、他、新年と冬の自由題。

投稿いただいた会員の皆さんへの、添削&アドバイスは随時。
会報は二月十日ごろまで送付します。
尚、次回の兼題は、春の季語のど定番、『鶯』です。
別名、多し、匂鳥、歌よみ鳥、経よみ鳥、花見鳥、春告鳥、人来鳥。
え~、大正から昭和の初期には、『鶯』の鳴き声を競わせて遊ぶ【鳥合せ】が盛んだったそうですヨ。
傍題の初音、鶯の谷渡り、流鶯、などは、今回なるべく使用しないで、『鶯』で、ストレートに詠んでみましょう。
まだ『鶯』の早い地方も多いかと思います、しかし、季節は先取りするぐらいが良いのです、記憶の『鶯』を詠むのも一興です。
フルシーズンで会える『鶯』、我々に一番近い鳥ではないでしょうか。
私の住居は城址の麓・・・竹林の鶯が毎年楽しみなのです。
連衆の皆さんは何処で『鶯』の声を聴きますか?
とは言え、田舎では日常である『鶯』の声も、都会に住んでいた時には聴く機会はありませんでした。
キャンプや山菜取りに行って、非日常ではじめて聴くことが出来たのです。
ド田舎でも年々少なくなっています。
『鶯』の声は無くなって欲しくないなぁ。
では、例句です。
うぐひすや寝起よき子と話しゐる/星野立子
のどかな春の朝の風景だ。
母はとてもご機嫌である。
幼い子の寝起きの良いのは助かる。
娘との会話は楽しく幸せな時間だろう。
この子は立子の長女、俳人の星野椿女史(91歳)だろう。
前「玉藻」主宰であり、現「玉藻」主宰の星野高士氏の母だ。
立子自慢の長女は立派に系統を残した。
まぁ、個人的に俳句結社の世襲は如何なものかとの思いもあるが・・・。
鶯のしきりに鳴いて風呂ぬるし/本田あふひ
朝風呂だろうか、なんともトボケタ一句だ。
華族のお嬢様の句だと思うと猶更オモシロイ。
写真が残っています、なかなかの美人ですよ~(笑)。
お風呂のお湯が最初からぬるかったのか?
それとも鶯の声を聴いているうちにぬるくなったのか?
どちらにせよ、微笑んでしまいますね。
鶯もこちらへござれお茶ひとつ/村上元三
鶯も、とある、縁側にお客さんが来ているのだろう。
鶯さん、恋の歌も良いけれど、少しはお休みなさいヨ。
私がもてなしますから、どうぞ「こちらへござれ」なのだ。
なんともユーモラスで春の暖かみまで伝わって来る。
鶯に居坐りし咳宥(なだ)めけり/赤座典子
春の風邪をひいた作者、通院の途中か?病院の庭か?
たぶん初音を聴いたのだ、春に初音を聴くのは感動である。
長引いている風邪で喉がイライラしているのだ。
しかし、鶯の声を中断したくいない、聴き洩らしたくない。
どうか今しばらく咳よ出ないでとの祈りだ。
うぐいすや坂また坂に息みだれ/馬場移公子
春の登山だろうか、それとも普通の散歩かな?
作者は坂の多い町にお住まいなのかもしれない。
うららかな春の日だ。
久しぶりの外出なのだ。
身体が少しなまっているのか?
息が乱れる。
立ち止まる。
応援は鶯の声、そして、再び歩き出す。
ゴンドラがゆく鶯の声の上/山田弘子
このゴンドラは、気球、飛行船のモノでは無く、ロープウェーだろう。
山からロープウェーで下った時にこの句と同じ経験がある。
鶯が下の方で鳴いていたのだ。
声が下から上がって来る。
なんとも不思議な感覚だった。
そして鶯に導かれているようにも思えた。
空耳の鴬でよし山降りる/豊田都峰
春、山に行くと期待するのが鶯の声だ。
初音を聴きに登山する人もいると聞く。
鶯の声ばかり考えて、聴いたような気になった?
いや、聴こえたのだ、でも、他人に違うよ、鶯じゃないよと言われた。
いいんだよ、私が鶯と思ったからと心の中で呟いた作者の声。
他、なるべく春の季語と自由題です。
締切は二月二十六日です。
『寒の灸』+【初不動】

寒中にすえるお灸の事。
四季の中でも、寒中のお灸は最も効力がアルそうで・・・。
あ~、お若い方はお灸がワカランかぁ~。
こんな感じ。
鍼と一緒だとサラに効果的ですね~。
寒の灸。
寒灸、かんきゅうorかんやいと読む。

寒灸師山家に来たり泊りけり/前田普羅
古傷の痛み止めんと寒灸/松崎鉄之介
かたくなに薬ぎらひや寒灸/溝口遊雨子
寒灸の壺外さるる悲鳴かな/中島玉五郎
寒灸を百八までは数えけり/小栗釣月
鍼灸もしばらくしてないなぁ~。
ハードに生活していた四十代、今では信じられませんが・・・。
週に一回の総合整体+二週間に一回の鍼灸がローテーション。
酒池肉林・・・あ、間違った(笑)。
夜更かし、暴飲暴食、煙草も吸ってたし・・・。
鍼灸師曰く・・・こんな生活していたらあと五年で死んじゃいますよ。
と、言われたのが2006年の冬、2007年の一月から禁煙・・・現在継続中(笑)。
健康第一。
【初不動】
辰巳妓のきほひは今も初不動/真鍋蟻十
毎月28日は不動明王の縁日です。
そして、一年で最初の縁日が初不動。
いわゆる、三大信仰と呼ばれるのは、「観音様」・「お地蔵様」・「お不動様」
お不動様、正式名称は【不動明王】、もともとは真言密教の明王の一尊。
また、仏であり密教の本尊の大日如来の化身とも言われています。
有名な初不動は、高幡不動で、だるま市も併設され百五十の露店と五万人の参詣者で賑わいます。
今年はまたまた難しいでしょうね。


さらに、例年ならば、三浦半島の武山不動にて本尊が特別に御開帳され多くの露天が並びます。


とにかく、強くて偉くてご利益がたくさんア~ル仏様なのでアリマス。

たわたわと降りくる鳩や初不動/山口青邨
前髪にちらつく雪や初不動/石田波郷
咽喉(のど)もとを焼く甘酒の初不動/遠山弘子
掌を合はすことが幸せ初不動/堀米康
護摩の火を揺るがす太鼓初不動/長屋秋蝉洞
駒下駄の橋わたりくる初不動/角川春樹
法螺貝の列なしてゆく初不動/小栗釣月

旧暦・建保七年一月二十七日・實朝(さねとも)忌。

建久3年8月9日(1192年)~建保7年1月27日(1219年)
源実朝は、鶴岡八幡宮で甥の公暁(くぎょう)に暗殺されます。
鎌倉幕府三代将軍と言うよりは、歌人としてあまりにも有名ですよね。
師は、あの藤原定家、また、小倉百人一首では鎌倉右大臣とされています。
93番・【世の中は常にもがもな渚漕ぐあまの小舟の綱手かなしも/鎌倉右大臣】
偏屈な正岡子規が手放しでベタ褒めする唯一の歌人ですヨ。
「人丸(柿本人麻呂)の後の歌よみは誰かあらん 征夷大将軍みなもとの実朝」と言ったらしい。
さらに、松尾芭蕉が弟子に、「中頃(遠く無い昔)の歌人は誰なるや」と問われて曰く、【西行と鎌倉右大臣ならん】と言わしめた人物デス。
実朝は京に、朝廷に近づき過ぎたネ、だ・か・ら・暗殺されたんだよ。
【実朝忌】
その時も鳩は翔ちけむ実朝忌/山口青邨
枝重りして咲ける椿や実朝忌/石田波郷
実朝忌春動かむとしてためらふ/松本たかし
名をかへて流るる川や実朝忌/進藤一考
実朝忌あし跡のみの百千鳥/小檜山繁子
大挙して実朝の忌の沖つ波/高澤良一
雪となる雨を見てをり実朝忌/角川春樹
東雲に寒月残る実朝忌/小栗釣月
今年の大河ドラマ・『鎌倉殿の13人』は、実朝までやるのかしらネ?
私は、TVが無いから見れませんが、ま、あっても見ないかもなぁ(笑)。
実朝暗殺・・・、公暁をそそのかした黒幕は北条義時、今年の大河の主人公?でしょうね。
たぶん、頼朝も暗殺された、死因が落馬ってさ、武士なんだよね。
落馬の原因も、脳卒中とか糖尿病とか諸説あり、まったく噛み合わないしさぁ。
『吾妻鏡』においてはネ、頼朝の死の前後の記事が欠落している不可解さもあるし・・・。
そもそも『吾妻鏡・東鑑』が全然信用できないワケ、だって当時の一級の歴史資料、慈円の愚管抄との相違が甚だし過ぎるよね。
まぁ、『吾妻鏡』は、北条一族の特別編集なわけだから、一族の都合の良いようになんとでも書けるしね。
その、頼朝暗殺の首謀者は、義時の父、時政ではないだろうか?
理由は、鎌倉幕府が成立したのちに頼朝がこともあろうに、自分の娘を入内させようと画策した為だろうなぁ。
頼朝は貴種ゆえの京と朝廷への思慕が当然あったはずだよね、しかしそれは、鎌倉幕府と武家制度の屋台骨を揺さぶるものだったわけデス。
時政は恐怖心で頼朝を暗殺したのではないだろうか?
さらに、頼朝の度重なる浮気(笑)。
え~、実朝に戻りますと、繰り返しますが、暗殺の黒幕は北条義時ぽいですよね。
なぜならこの時に父の時政は義時に追放され幽閉状態にあったからです。
理由は若い後妻にそそのかされてクーデターを起こしたからですわ。
ふっ、まったくエロ親父デスなぁ。
なので、このような企てができる人物は義時しかいないハズなのですが・・・。
実は、実朝暗殺の凄い説があるんです。
なんと、それですべての謎が証明されるんですよ~。
はい、オリエント急行説&オズワルド説デス(笑)。
あ、私が勝手に言ってるんですが・・・長くなるので割愛します。
え~、この話の半分は、敬愛する井沢元彦大先生の受け売りの知識でございす。
が、半分は私の勝手な思い込みですのでご容赦くださいマセ。
今からでも遅くありません。
『鎌倉殿の13人』を見ている人はこの二冊を読むと百倍楽しく見れますよ、たぶん。


井沢先生の歴史書は目から鱗の連続でして、二十代からファンでありましたが、『穢れと茶碗』は度肝を抜かれましたね。

では、最後に、実朝の歌を幾つか・・・。
萩の花くれぐれまでもありつるが月出でて見るになきがはかなさ
大海の磯もとどろに寄する波われてくだけてさけて散るかも
ながめつつ思うも悲し帰る雁行くらむ方の夕暮れの空
炭をやく人の心もあはれなりさてもこの世を過ぐる習ひは
くれなゐのちしほのまふり山の端に日の入る時の空にぞありける
在位【十五年四か月】、享年二十八歳でした。
無念の死でしたでしょうネ。