1/11・本日・鏡開き、と、善哉(お汁粉)。
鏡開きとは、
歳神様(年神)の霊魂が宿った依り代である、
床の間の丸い鏡餅をおろして、家族全員で食べること。
一般的?には、正月の十一日または二十日に行いますが、京都は四日らしい。
また、地方によりは様々なようで・・・。

鏡開き、または、鏡割り。

正月を出して見せうぞ鏡餅/向井去来
ふくよかにすわりめでたし鏡餅/村上鬼城
つぎつぎに子ら家を去り鏡餅/加藤楸邨
神々の声を聴きませ鏡餅/小栗釣月

威勢よき鏡開の僧の喝/大島寛治
酒蔵に鏡開の師弟かな/石井邦子
鏡割るこなごなに聲たつるかな/中原道夫
こし餡を横目に見ては鏡割る/小栗釣月

ちなみに、何故?鏡餅は、ひ・ら・く・の・か?
お目出度い席は、「終る」とは言わず「お開きにする」でしょ。
なお、武家の風習だったので、切腹のイメージの刃物で切ることを忌む、のネ。
ゆえに、鏡餅は切らずに槌などで叩き割ると言うコトにしました。
ただ、「割る」は忌み詞なので、「開く」がベストらしいけど・・・。。
雑煮も良いけど、やはり、善哉が旨い。

善哉(ぜんざい)は、サンスクリット語(古代インド語)の、
「すばらしい」の意味の「sadhu/サードゥ」の漢訳なのだっ。
仏陀が弟子を褒める時に「『善き哉/よきかな』などの意味で使った言葉らしい。
それが、仏教伝来とともに仏典由来の言葉として定着し、なぜか、凄く美味しい=善哉となったらしい。
他、一説では、善哉を最初に食べた?一休宗純?が、
あまりの美味しさに「善哉」と叫んだなんて話もあるが・・・さて。

それから、元禄期の江戸では、善哉とは呼んでなかったらしい?
あまりにも高名な二人の俳人の句をご紹介しましょうネ。
亦汁粉さまで憂世はあかね共/服部嵐雪
お汁粉を還城楽のたもと哉/宝井其角
ネ、しるこなんですよね、お汁粉。
他、オモシロイ説では、出雲発祥の神在餅(じんざいもち)が由来との説もあります。
じんざい→ずんざい→ぜんざい・・・ですと、確かに出雲はズゥズゥ弁(砂の器・参照)。

チャリティーの薄き汁粉に人の列/平井カヅコ
身に入むや汁粉にしづむ玉ひとつ/橋本榮治
一休に喝を貰ふて汁粉喰ふ/小栗釣月

関西では、つぶ餡のものを善哉、こし餡のものをお汁粉と呼び、
関東は同じみたいですネ、そもそも、あまり善哉と言う言葉は使わないかも。

この善哉の作り方が多種多様。
大きく分けて三つ。
餅派VS白玉派。
つぶ餡派VSこし餡派。
つきたて餅派VS焼餅派。
ま、美味しけりゃなんでもOKですけどね。
ちなみに私。
善哉は、つきたて餅派+つぶ餡派。
お汁粉は、白玉派+こし餡派。
今夜はお餅をチンして、こし餡でいってみようかなぁ。
