鋤焼(すきやき)・・・昔は、黒牡丹(こくぼたん)鍋、牛鍋。

スキヤキ、いつ食べたのかなぁ・・・。
友人某曰く、すき焼の日は家に帰りたくないらしい、なぜなら・・・。
『スキヤキの日に必ずオフクロが来てさ奉行するのよ、で、嫁が超機嫌悪くなって困る』
しかし、なぜ?オフクロ様がスキヤキの日を察知するのかは謎らしい…女のカンか(笑)。
鋤焼や義母はでしゃばり奉行様/小栗釣月
そうそう、十年以上前に、総勢七人の独身男のスキヤキを喰う会ってのがあってね。
最後は私を含めて三人だけになっちゃってネ、止めちゃいましたよ、とほほほほ(笑)。
鋤焼を囲む無妻に色気無し/小栗釣月

すき焼の白たきの濤子と分つ/佐川広治
鋤焼や誼といふも今日はじめて/下村槐太
鋤焼やくろがねの鍋にほひ立つ/加藤晃規
すき焼やいつもふらりと帰省の子/永井みえ子
鋤焼や国防論の燃え滾(たぎ)る/小栗釣月

江戸時代、お肉をワザワザ薬と称して食べていました。
なぜ?薬などといったかと言うとですネ。
今の時代、肉を食べるのはあたりまえの事であります。
しかし、我が国は、仏教伝来以降、獣の肉を食べることは、基本的にNGだったワケ。
でもね~、庶民は、特に冬場、「薬」と称して、健康のため?獣の肉をアレコレ食べました。
これを「薬喰い」、「寒喰い」などと言いました。
モチロン内緒で食べたようですが・・・、政府公認?公然の秘密?だったようです。
はい、わかりましたね、黒牡丹鍋は、牛鍋、スキヤキの事であります。
黒牡丹鍋(江戸期)~牛鍋(明治期)~すき焼(大正期)~、みたいな感じらしい(笑)。
大正時代、関西では牛肉すき焼、関東では牛鍋と言っていたと言う説もありましてネ。

では、なぜ?
牛を黒牡丹(こくぼたん)と言うのか?
それは支那の故事、「唐の劉訓、牛に騎して京師に遊覧し、牡丹花を賞す」から来ました。
詳しく知りたい方はググッて下さいませぇ~。
牛鍋や妻子の後のわれ独り/石田波郷
牛鍋は湯気立て父子いさかへる/湯浅藤袴
牛鍋てふ店まだありし荷風の忌/斎藤由美
牛鍋や同級生の二割欠け/武田伸一
牛鍋や子の無きことをうらやまれ/磯部良夫
Happy♪(* ̄ー ̄)ノ"iiii Birthday♪ひなぁぁぁぁぁぁぁぁ♪
この春、愛する姪は。
大学を卒業して就職です。
あ~、一緒にピューロランドに行ったのは確か三歳の時だったか。
年をトルわけね~(笑)。