『寒晴』+【藤沢周平の命日】

寒晴とは、寒中のよく晴れた日を言う。
冬晴れよりも、寒く、乾いていて、空も澄んで冴えているイメージ。

季語としては新しい。
昨日の地元は寒晴でした。
寒中に昨日ほど晴れる日は本当に珍しい。
一瞬でも太陽は嬉しいもの。
寒晴にさくさく歩く親子かな/小栗釣月
雪を踏む音が晴れた日は小気味よい。
ふと、白秋の、『君かへす朝の舗石さくさくと雪よ林檎の香のごとくふれ』
を、思い出してしまった、ま、この歌は、不倫の歌だったりしますが・・・。

花嫁にけふ寒晴の日本海/比田誠子
寒晴や水尾の煌めく后陵/岡本明美
寒晴や艶を濃くして京瓦/小松志づ子
寒晴や深きに動く鯉のいろ/椎名書子
寒晴れや十字懸垂二秒半/三神あすか
寒晴や丸い雀の如き児等/小栗釣月

一月二十六日・【藤沢周平の命日】
小菅留次…後に、北邨(ほくそん)。
実はこれ藤沢周平の俳号なんです。
周平が、結核療養中(二年程度・26、.27歳)に、
院内の俳句同好会(野火止句会)に、参加していました。
その縁で、静岡の俳誌「海坂」に投稿などもしていました。
はい、ご推察の通り・・・「海坂藩」はココからきています。
周平自身の句は、
全集(文芸春秋)の第二十五巻に、
「句集」として、百十一句が収載されています。
また、単独で『藤沢周平句集』としても刊行されています。

汝を歸す胸に木枯鳴りとよむ
雪女去りししじまの村いくつ
眠らざる鬼一匹よ冬銀河
軒を出て狗寒月に照らされる

残念ながら周平が俳句を詠んだのはこの時期だけだったようですネ。
もし、生涯を通して俳句を詠まれていたらなぁ~などと思いますが・・・。
注・俳誌「海坂」。
馬酔木系の俳誌です。
周平が投句した時期には、馬酔木同人でもある百合山羽公(ゆりやまうこう)先生、相生垣瓜人(あいおいがきかじん)先生が共同主宰としていらっしゃった頃のようです。
「海坂」は月刊誌として現在も刊行しています。
素晴らしい。