3/7・本日・詩人『竹中郁』の命日です。
見知らぬ人の
会釈をうけて
こちらも丁重に会釈をかえした
二人のあいだを
ここちよい風がふいた
二人は正反対の方向へあるいていった
地球を一廻りして
また出会うつもりの 足どりだった
竹中郁。

1904年4月1日~1982年3月7日
中学時代より北原白秋に傾倒し、『近代風景』『詩と音楽』などの、白秋主宰の雑誌で詩人となる。
戦前はモダニズム詩人、戦後は抒情詩人として、評論家として、また児童詩画雑誌『きりん』を井上靖とともに主宰する。
では、竹中郁の詩を・・・。
「二年前の日記」
ごく ちょぴりづつ
一九四五年
手帖につけてゐた日記
六月四日で尻切れとんぼだ
その前日は書いていない
その前々日も書いていない
にげる荷造りに懸命だった夜が
ふた晩
前々々日には
従兄が来たとただ一行
雨があるから空襲はなかった
余白に 苺一箱とある ふしぎ ふしぎ
「晩夏」
果物舗(くだものや)の娘が
桃色の息をはきかけては
せつせと鏡をみがいてゐる
澄んだ鏡の中からは
秋が静かに生まれてくる
「伝言板」という作品がある。
こちらも短い詩なので、
最後にもう一度だけ全文を・・・。
「伝言板」
―― 先にいく 二時間待った A
恋人どうしか ただの友達どうしか
―― 先に行く 先に行く
おれも なにかをまっていたが
とうとう この歳になっても来なかったものがある
名声ではない 革命でもない もちろん金銭でもない
口でいえない何かを待った
いま 広大無辺な大空に書く
―― 先に行く と
神戸文学館に、竹中郁コーナーが設けられ、郁の書斎の一部が再現されている。→[神戸文学館HP]