俳句を彩る、奥深き、俳画(はいが)の世界・・・。
俳画の事を与謝蕪村は、「俳諧ものの草画」と言ったらしい。
水墨の略画的な草画、蕪村作。

淡彩画(薄く色づけした絵)的な草画、同じく蕪村作。


俳諧ものとは、俳諧者であろう、そして、俳諧師の事である。
俳人と俳諧師とは、実はカナリ違うのです、芭蕉も蕪村も俳諧師だ。
俳諧師とは、俳諧連歌のお師匠様・・・連歌とは・・・長くなるんで機会があれば・・・。
また、俳人は明治期の正岡子規から始まると言うとワカリヤスイか?
ゆえに、俳画とは、近代の名称で、古くは蕪村のように草画と言っていたようだ。
元々は、俳諧師が、己の句を自画自賛するために(笑)描いていた。
しかし、いつの頃からか他人の俳諧連歌を賛する為にも描くようになった。
はじめの俳画は、絵よりも句が先だったのではないか?
後に、絵を賛するために句を後付けしたり、絵と句を同時に描いたりもした。
そして、句が無いものまで登場する、俳諧的、俳味、俳趣を表した草画である。
俳画と言う呼称は、江戸後期の渡辺崋山(寛政5年~天保12年・1841年)の『全楽堂俳諧画譜』にはじまるとの説が有力である。
俳画の創始者にも諸説アリだが、『立圃筆休息歌仙図』の野々口立圃が通説だ。
しかしそのルーツは床の間の掛け軸と言う人もいる。
蕪村以前にも有名な俳画を残した著名人がいる。
井原西鶴は、「画賛十二ヶ月」と言う俳画の連作を描いた。

松尾芭蕉も俳画を描いている、また、弟子の宝井其角や森川許六も描いている。

高名な画家で俳人の英一蝶(はなぶさいっちょう)と芭蕉の合作もあるらしい。
芭蕉の影響を受け、門人達の多くが俳画を好んで描いた。
他、有名な俳人だと小林一茶。
そして、正岡子規がいる。

子規は草画ではなく、水彩画である。
特に草花や野菜などを好んで描いた。
たぶん、俳句の弟子で画家の中村夭折の影響だろう。
子規の弟子たちも好んで俳画を描いたがいつしか廃れていった・・・。
そして、昨今の俳句ブーム?のセイか、俳画がカラフルに復活している。
お邪魔するBlogで特に女性の方の多くが絵を描いている。
またプロ顔負けのアングルでこれもまた女性の方の多くが写真を掲載している。
皆さんとてもお上手で感心する、絵心や撮影のセンスが皆無の私は羨ましい。
俳画を専門に描かれている方も数名居る。
そして、某日、よくお邪魔する超お気に入りのBlogで素敵な切り絵があった。
その絵に感動しコメントに一句添えたらご丁寧にもBlogで私の句をご紹介いただいた。
それがこれである→『森の食堂 ア・ラ・カルト・2022.03.03.Thu 陽光』
ニャンコがたまりませんネ~。
これも俳画であると言ってよいように思う。
形式にトラワレズに詩歌句を絵や写真に合わせるって素敵ですよね。
コラボはこうじゃなくっちゃね~。
え~、駄目駄目な自民党が珍しく早期?決定して本日の実施となる・・・。
ウクライナのゼレンスキー大統領の議員会館(会議室)でのオンライン演説。

生配信となるワケだが最後までゼレンスキー大統領の演説が視聴できることを願うばかりだ。
ま、今年の選挙も意識してるのかなぁ。
維新も橋本氏と鈴木宗男氏のお陰でかなり票が落ちたよね、喋らせたら駄目なんだよこの二人はさ。
ピ露シキと支那竹ショ~とキ〇ガイ朝鮮のお仲間の共産党・公明党、そして隷属する立憲民主党は苦々しいでしょうね~、うふふふ。
あ、令和なんとか、あれは無視でイイね、もはやゴミだっ。
しかし、このままだと、ダメダメ内閣が続投かもネ~。
それはそれでどうなのかなぁ~、困ったものですネ~。
しっかりと演説を聴きましょうね。
ウクライナに栄光あれ。
