令和四年三月、【俳句愛好会・幹】今月の句、落掌致しました。
桜が終わった沖縄、満開に近い関東、私の地元は来月中旬かな。
寒暖の変化が激しい日々、連衆の皆さんは日々如何お過ごしですか?
そろそろ句会もしたいのですが・・・。
さて、今月の俳句愛好[幹]の兼題は、【下萌】でした、他、春の季語で自由題。

投稿いただいた会員の皆さんへの、添削&アドバイスは随時。
会報は四月十二日ごろまで送付します。
尚、次回の兼題は、春の季語の、『耕(たがやし)』です。

春の耕しが一番重要であるとの事から春の季語になった。
秋の収穫後の耕しは「秋耕」、冬は「冬耕」と頭に季節を付ける。
『耕』は「うなふ」と室町期では読まれ、畝(うね)を作る意味があった。

古くは、「田返し(たがへし)」。
それが「耕し(たがやし)」と変化した。
『耕』は、耒(らい)と、井(せい)とから成る。
耒=鋤(すき)であり、井=四角に土地を仕切る意味。
ゆえに、『耕』とは、本来、田を四角に鋤き返す事、現在は畑も。
春の農作業は『耕』から始まる。
その後に、種を蒔き苗を植える。
土と共に生きる人々の必死さが『耕』なのだ。
自然と戦う農を生業とする人々の祈りにも似た作業だ。
牛、馬を使って耕す時代もあったが今は少ないだろう。


現在は機械化され、専門の大型小型のトラクターが多種多様だ。

北海道、東北は、雪解けを待って行う作業となる。
農家は、『耕』こそ、もっとも春を実感するのではないか。
農業の経験の無い者は出来れば田畑へ立ち寄り観察してもらいたい。
耕さなくても、庭の土をいじってみるのも良いのではないか?
私は大昔、娘たちの為に家庭菜園などやっていたが、あれはママゴトみたいなものだった(笑)。
『耕』。
傍題、春耕、耕人、耕馬、耕牛、など。

では、例句。
耕や鳥さへ啼かぬ山かげに/与謝蕪村
山間の開墾地だろうか。
へぇ~、こんな辺鄙なところでも稲作をしているのかと蕪村は驚いたのだ。
農業は今も昔も同じである、ただ地を黙々と耕す事なのだ。
子を産みしときの力や耕せる/鷹羽狩行
田に力で男だが、農業は男手だけでは無理だ。
昔から女手が必要とされたし女性も五分に働いた。
今の時代も同じだ、耕すのには出産と同じほどの気力と体力がいる。
耕の雲水のみな白襷/後藤比奈夫
大きな禅寺の畑なのだろう、雲も襷も白い、そして、空は青い。
禅の教えでは、当たり前な事、日常生活が大切だと言う。
ゆえに、毎日毎日の農作業の一つ一つこそが修行なのだ。
気の遠くなるまで生きて耕して/永田耕一郎
作者は支那からの引揚者で、北海道にて町役場の助役を務めた。
「生きて」と「耕して」と動詞を畳みかけて騒がしさと単調さで農作業の過酷さをあらわした。
本人ではなく、入植した、祖父と父の事なのだろう、役所勤めのには日焼けした身内が誇らしい。
三角の土地を大事に耕せる/山田六甲
もしかして農家から不要な三角の畑を借りているのではないか?
その三角のトコで家庭菜園?を作者はしているのかも知れないなぁ。
どんな野菜を作っているのか想像すると楽しい。
十坪ほど耕し病知らずかな/藤井明子
こちらも家庭菜園だろうが大きな土地だ。
田舎の畑付きの家にお住まいなのかも?
十坪はけっこう広い、良い運動になるなぁ。
こまごまと隣にならひ耕せり/坂口美代子
小さい畑だろう。
初心者?共同農園?見よう見まねでの作業だ。
お隣の畑の人が心の先生なのである、言葉を交わさなくとも。
耕しの音も光も鋤き込めり/武藤嘉子
土を反すと言うよりは、サクサクと刻む音だ。
鋤で土を掻き揚げる空には春の太陽が輝く。
鋤の先が陽光で乱反射しつつ煌めいている。
耕してひねもす海の藍の中/坂本アサ子
海沿いの田畑ではないか、私の地元も海岸の近くに田が並ぶ。
春の海ひねもすのたりのたりかな・・・ひねもす=日中・終日の意味。
空は青く、海は濃い藍色だ、一日好天に恵まれたのだ、潮風も優しい。

他、春の季語で自由題。
締切は、四月二十八日。