【八月尽】+ 「ダイアナ元皇太子妃」事故死。
十二音階?⇒「十二音技法」 ~悪魔の音列~

早いモノです、八月が終ります。
今の夏休みは八月末までじゃないんですね~。
絵日記は家族総出の八月尽/小栗釣月

夏休みの宿題は、最後の三日間が勝負でした(笑)。
明日できる事は、今日するなっ(笑)。
雨が多い八月でしたね~。
蝉も元気が無かったなぁ、助かったけど・・・。

八月盡(尽)おいてきぼりの蝉が鳴く/高澤良一
黒々と能勢の山並八月尽/高野清風
端切れ屋に蚊帳のはぎれも八月尽/阿波谷和子
月二回の満月に会ふ八月尽/横林誠一
鹿苑の闇の匂ふて八月尽/栗栖恵通子
江戸切子罅(ひび)見付けをり八月尽/福島松子さよならするの
待受の写真を消して八月尽/小栗釣月
夏の恋人に手を振ってさよならするの⇒【SHISHAMO/夏の恋人】
幻の渚の恋よ八月尽/小栗釣月
1997年8月31日・「ダイアナ元皇太子妃」交通事故で死去。
あれから二十五年の歳月が流れた・・・。
事故死をめぐる陰謀論は後を絶たず・・・。
ダイアナ元皇太子妃の超絶的な人気が伺えます。

ダイアナ元皇太子妃の来日は生涯に三度。

最初は1986年(昭和61年)の公式訪問。
二度目は1990年(平成2年)の上皇陛下の即位の礼への出席。
三度目は1995年(平成7年)の英国赤十字社副会長として。



このダイアナ元皇太子妃の来日の大フィーバーぶりは今でも憶えていますヨ。
お気の毒な晩年でしたネ、美人薄命・・・。
チャールズ皇太子と再婚したカミラ夫人には、この事故の責任が少なからずある。
女王陛下は在位七十年に際した声明で、カミラ夫人が将来を王妃と呼ばれることを切に望むと国民に和解を求めたのだが・・・。
英国民は果たしてこの日をどのように感じて迎えているのだろうか?
合掌。
令和四年八月、【俳句愛好会・幹】今月の句、落掌致しました。
まさに、秋黴入です・・・連衆の皆さんは如何お過ごしですか?
爽やかで、澄んだ秋空の訪れは、まだまだ先でございますネ・・・はぁ。
ただ、今年は蝉達がヤヤおとなしいようですね。
数日前から、蜩が復活してくれたのが嬉しいなぁ。
さて、今月の俳句愛好会『幹』の兼題は、『新涼』でした、他、秋の季語で自由題。

投稿いただいた会員の皆さんへの、添削&アドバイスは随時。
会報は九月十二日ごろまで送付します。
尚、次回の兼題は、秋の季語の、『月見』です。

令和四年の中秋の名月(旧暦の八月十五日)。
九月十日でございます。
しかも、満月となりますネ~ラッキー♪
来年も中秋の名月は満月です。
しかし、その後、名月が満月になるのは、2030年まで待たなくてはなりません。

当日は、是非、晴れて欲しいものです。
最新の長期予報では、十五夜様の夜はド晴れです(笑)。

月見は、平安時代の宮中で始まりました。
漢詩や和歌を吟じ、楽器を奏でる、賑やかなモノでした。
室町時代?武家や商家にも広がり供え物をするようになります。
江戸時代には秋の豊作を願う農耕行事と結びつき農民や町民の大イベントとなります。
花見、蓮見、雪見、これらと違い、月見は一人でも大勢でもOK、場所も自由、だから一番愛されていますね。
月は東の空に出ると、アッと言う間に登り切っちゃいます。
な・の・で・少し急いで月見の仕度をしなくてはいけません(笑)。

秋を代表する季語、月。
なぜ、月には多くの傍題があるのか?
そんな事を考えながら月を鑑賞しましょうね。

『月見』。
傍題、多し。
観月・月祭る・月祀る・月を待つ・月の宴・月の客・月の座・月見酒・月見唄・月の宿・月の友・月見茶屋・月見舟・月見坂・月見櫓・月見能・月見寺。
やや古い言葉が並びますね、月見茶屋・月見舟を経験した人は少ないでしょう。
例えば、月の庭、月の窓、とするのも、まとまるなら良いと思います。
名月・良夜・満月、となると、主体は月です。
しかし、月見は背景に見ている人間がチラつかなければいけません。
その人間の背景や空間も感じる事ができる作品に仕上がれば尚良いでしょう。
ちょっとココで、良寛様と月のエピソードを・・・。
友人の亀田鵬斎が五合庵を訪ねて来た時のお話。
酒好きの両名の事だ、当然大宴会となった事は間違いない。
鵬斎が月の客であり、月の宴だ。
盛り上がり過ぎて酒が切れてしまった。
良寛様が買いに行く事になった、お金は鵬斎が出したのだろう。
ところがである、酒を買いに行った良寛様がなかなか戻ってこない。
鵬斎が心配になり坂を下って迎えに行くと・・・。
良寛様は、五合庵の近くにある松の根元に腰をおろして恍惚の顔で月を見上げていたそうです。
月の美しさに、ただただ見惚れてお酒を買うのも忘れて放心状態になってしまったのですね。
五合庵に行くと、その、月見坂もありますよ。


では、例題。
芋売は銭にしてから月見かな/横井也有
作者は、江戸期の俳人、俳文集【鶉衣】はとても有名で私も所有しています。
江戸時代の名月の日は里芋が良く売れたようですね~、だ・か・ら・十五夜様を別名、芋名月とも言うワケ。
芋名月の由来は農事デス、新里芋を掘り、水炊きのまま月前に供えて収穫を祝ったんだよね。
十五夜のお供えは、昔は里芋の衣被がメインでした、他、栗や豆や薩摩芋など。
あ、月見団子もありましたね~、それを衣被風に作る風習もあります。
江戸期の資料によると、月見団子の直径は6~10センチとあったそうで、かなりデカイですね。
通常の年は十二個、閏年(13カ月)は十三個、月数だけ用意しました。
月見にも陰ほしがるや女子達 / 加賀千代女
作者は、江戸期の女流俳人としてあまりにも有名。
女子達、おなごたち、と読むのだろう、若い女友達を集めての月の宴ではないだろうか。
さて、なぜ陰を欲しがったのだろうか?それは暗い方が月が美しく見えるからかなぁ~?
この句は六十一歳の時の作品、七十三歳で没・・・辞世の句は、「月も見て我はこの世をかしく(麗)哉」
千代女は、いろいろと伝説の多いお方です。
漕ぎ出でて月見の船や湖半/河東碧梧桐
この句、下五をどう読むかなんだけど、勉強不足で申し訳ない。
ただ、湖半・・・こはん、ではなく、うみなかば、と読むのだろうと考えた、違うかもしれない。
船も舟ではないのに漕いでいるから謎なんだけど、小舟だろうと思う、多分、湖は大きいのだ。
月を観ながら動いているらしいオモシロさ、そして、隣岸までいくのかこのままなのか?その中途半端さもモヤモヤする。
不思議な一句、皆さんはどんな鑑賞をしましたか?
月に待たれて月見船出でにけり/鷹羽狩行
普通は人が待つんだけどネ、月が待ってるオモシロさですね。
舟ではなく、船だから大勢でチャーターして大型船に乗り込んだのか?
有名な観月会を主催して選者となる作者は、サスガァ~優雅なモノだなぁ~と(笑)。
月にずっと見守られている感じが良いですね。
月見の句は静が多いけども、これも珍しい動の句です。
月見して月の匂ひの地球の子/鶴濱節子
壮大な宇宙観。
月になんと地球を組み合わせた、大胆不敵。
中秋の名月と言う、年に一度だけの雅な世界に、俗な世界の?地球を・・・。
作者は、月と地球だけではなく、太陽系を具現化して見せたのです。
月も地球も・・・そして人類も太陽系の一部であり、宇宙の一部であると・・・。
月見酒天動説のまことかな/小林直司
月見酒・・・誠に風流ですよね~。
俳人ならば年間イベントのTOP5と言うトコロでしょう。
まぁ、花より団子、月よりお酒でも、良いではないですか。
何につけても、お酒があればOKOKOK。
コペルニクスが16世紀初めに地動説を説き、近代天文学、科学への道を開いた・・・と。
しかし、作者は、科学的な真実の地動説よりも、天動説の方がロマンチックなんじゃないの?と言ってるわけだ。
今の時代、科学を疑うのも良いかも知れませんね。
月祀る娘一人はとほくゐて/渥美絹代
離れて暮らす母娘である、一人娘かも知れない。
十五夜はどうするの?なんてスマホ?で話したのだろう。
月を祀るワケだから娘さんには母親から心得が伝わっているハズ。
作者は、しみじみと月を見上げながら、あの娘も同じ月を見ているのかしら?と。
いつの時代も、親心、子知らずであります(笑)。
東京をやさしくしたる月見かな/櫂未知子
いろいろなキャリアを経て、中原道夫の「銀化」創刊(1998年)に伴い入会したツワモノ。
有季定型の超保守派の一句とは思えない・・・【やさしく】などと言う、曖昧な表現。
しかし、この月見と言う季語には、ベタな言葉も似合うから不思議だ。
上五の東京が効いています。
作者の住まいは東京のマンションの九階との事、傍らには誰がいたのだろう。
やさしくしたのは、月だけではあるまいと・・・。

他、秋の季語で自由題。
締切は九月二十九日です。
落鮎。
山々は鮎を落して色づきぬ/森澄雄
神を待つごとく落鮎釣りてゐし/平井照敏

魚の中で一番好きなのは鮎です。

鯛も平目も鰤も鮎並も喉黒も確かに旨いですが、鮎が最高。
まぁ、川魚が苦手な人は仕方ないですね。
毎年恒例の山菜パーティと鮎パーティがチャイナコロナ(武漢肺炎)+諸事情で開催されなくて早三年。
鮎三昧のBlogはコチラです⇒【天然鮎パーティのご報告/2019】
再開が待ち遠しいです。
え~、この時期は、落鮎デス。
傍題は、寂鮎、錆鮎、渋鮎、下り鮎、秋の鮎、子持鮎など。
鮎は、秋が来ると産卵の為に川を下ります。
釣人は、下り鮎などと言います。
他、落鮎とも・・・、俳句の世界では様々な呼び名で秋の鮎を偲びます。

寂鮎を焼けくちびるの褪せぬ間に/吉田汀史
寂鮎と言う季語は、元々ある季語、錆鮎に哀愁を加えた当字です。
だれが使い始めたのかなぁ~、でも、秋らしい、落鮎の、秋季的なモノノアワレを醸し出す季語ですね。
鮎の産卵の時期には、その体に刃物の錆びたような斑点が現れるので錆鮎の名が生まれました。

この句は、本歌取り?で、歌人の吉井勇の作詞で大ヒットした「ゴンドラの歌/1915年(大正四年)」を踏まえているのです。
ほれ、聴いたことがあるでしょう。
いのち短し~♪
恋せよ少女~♪
朱き唇褪せぬ間に~♪
熱き血潮の冷えぬ間に~♪
明日の月日はないものを~♪
黒澤映画の『生きる』に使用されて国民的な愛唱となりました。
『いのち短し恋せよ少女』、このフレーズは、いまでも使われているではありませんか。

寂鮎の瀬の末にして淀あをき/水原秋櫻子
寂鮎や雨厚うして美濃の国/岸田稚
寂鮎やどつと日暮るる山の音/草間時彦

錆鮎やいたはられゐる小盃/石田波郷
錆鮎に坐し帯締の一文字/野澤節子
錆鮎やことばをつくす出雲びと/原裕

渋鮎を灸り過たる山家哉/高井几董
うぐひあり渋鮎ありともてなさる/高濱虚子
渋鮎を焼く入口の炉をまたぐ/前田普羅

下り鮎一聯過ぎぬ薊かげ/川端茅舎
下り鮎待つや一夜の深曇/中島ふき
村の灯のいつか街の灯下り鮎/有吉桜雲

忌払の膳にのぼりし秋の鮎/上村占
秋鮎を流して雨後の相模川/石塚友二
鰭さきの朱ヶほのかなる秋の鮎/飯田蛇笏

身の秋を淵にひそむや子持鮎/夏目吟江
石見路のしぐれやすさよ子持鮎/飴山實
山見えて古き二階や子持鮎/殿村菟絲子

落鮎や日に日に水のおそろしき/加賀千代女
落鮎の腹に夕べの月の色/山田三江子
落鮎の腹はち切れて焼き上がる/秋千晴

本来、【鮎】だけでは夏の季語でありますが、名前を変えて、春夏秋冬の季語として登場するのですぅ~。
さすが鮎です、このような季語は稀有であります。
実例をあげましょう。
春は、『若鮎』。
若鮎や九の字川を真直ぐに/小栗釣月
夏は、『鮎』。
鮎喰へば川底の歌聞こえけり/小栗釣月
秋は、『落鮎』。
落鮎の流るる先の女郎橋/小栗釣月
冬は、『ひお・ひうお【氷魚】/ 鮎の稚魚』。
種苗となりし氷魚の浅濁り/小栗釣月

ネ、日本人がいかに鮎を愛しているかがわかりますね~。
私が一度食べてみたい料理に「鮎豆腐」がアル。

池波正太郎の時代劇は、飲み喰いが楽しい。
その『剣客商売』に「鮎豆腐」が登場したのだ。

え~、【剣客商売・包丁ごよみ】と言う、エッセイがアル。

そこに、鮎豆腐のレシピが・・・地元の錆鮎を焼いて出汁に使ったら「鮎豆腐」はさぞかし旨かろうと・・・。
「鮎豆腐」は、湯豆腐の一種だから冬の季語になるか?
鮎豆腐湯気は河瀬の香気かな/小栗釣月
昨日(8/28)のLIVEは妙齢のご婦人方がノリノリでした(笑)。
TULIP・YAZAWA・BEATLES世代の方々でしたので全曲ご存じでしたね、良かった。
演奏後わざわざ私のところに来て直接お褒めの言葉も頂きました。
また、お孫さん?が左利きなのだがギターを弾きたいらしい。
との相談もあり、アレコレとアドバイスさせて頂きました、楽しくギターを弾いて欲しいですネ。
ボクシングだけじゃなくでも音楽でも、左を制すもの世界を制すデスからね(笑)。
藝術の秋?九月は18日(日)と25日(日)にLIVEの予定です。
無事に開催できると良いのですが・・・。
≪激旨朝採り野菜≫ +【22/08/28.Duoうつけ無双/街角ライブ】+本日.『道元忌』。
大大大好きな、幸せの茄子ですよ~、しかも二種類。
どうです~、見て見て、美味しそうでしょぅぅぅぅぅ♪

早速、料理しましたヨ、白茄子は「トロナス」と言われる通りの、トォ~ロトロッ。
普通の茄子はこれまた茄子らしい味でございまして、もう、最高に美味しかったです。
え?どんな料理をしたのかですって・・・。
う~ん。
それは、ネ~。
どう、しようっか、なぁ~。
えへへへへ。

本日(08/28)、わたくしの、インストDuoうつけ無双(Sax&Guitar)の毎月恒例街角ライヴです。
暑い盛り、野外はちょっとキツイのですがこれも修行の一環です、どのようなコンディションであろうと演奏します(笑)。
ほとんどの演奏会が中止になっている状況でツキイチでも演奏できる環境に感謝しなくてはいけません。
え~と、そんなわけで、本日は、皆様のBlogへのご訪問及びコメントのお返事等が大幅に遅れます。ゴメンナサイ。
旧暦・建長五年八月二十八日・『道元忌』。
私の家の宗派は曹洞宗です。
仏教、禅宗五派(曹洞宗・日本達磨宗・臨済宗・黄檗宗・普化宗)の一派ですネ。
曹洞宗の開祖は、道元禅師(どうげん・仏性伝東国師、承陽大師)です。

仏壇には一仏両祖、一仏(釈迦牟尼仏・仏様)・開祖道元(永平寺)・太祖瑩山(総持寺)が飾られます。

本尊は、「南無釈迦牟尼仏(なむしゃかむにぶつ)」

教義のメインは、「只管打坐(しかんたざ)」~雑念・煩悩をふりはらい、ひたすら座禅すること&「不立文字(ふりゅうもんじ)」~悟りの神髄は文字や言葉で教えるモノではない、師から弟子への以心伝心によるもの、などなど。
私見でありますが、原始仏教、仏陀の悟りの方法に一番近いやり方の宗派ではないかと・・・。
面白いことに、曹洞宗には正式な根本教典(法事では、修証義・心経・観音経)がありません。

聞きなれない・・・『修証義』とは、簡単に言うと、道元禅師の著書、正法眼蔵のポイントの抜粋ってトコでしょうか。
例えば、こんな感じ。
生を明らめ死を明らむるは仏家一大事の因縁なり、
生死の中に仏あれば生死なし、但生死すなわち涅槃と心得て、
生死として厭うべきもなく、涅槃として欣うべきもなし、
是時初めて生死を離るる分あり、唯一大事因縁と究尽すべし。
ちなみに、他の宗派は根本経典がほぼほぼキチンとあるんですヨ。
浄土宗系は、浄土三部経、日蓮宗系は、法華三部経、真言宗系は、大日経など。
道元禅師の書、【正法眼蔵(しょうぼうげんぞう)】は、あまりにも有名ですネ。

私も、なんとか読破致しましたが、凡夫には荷が重い書でありました。
さて、道元禅師は、身心脱落=悟りをひらかれました、が・・・。
この悟りとは仏陀と同じ悟りなのでしょうか?
そもそも、悟りとはいったいなんなのでしょうか?
もしも、仏陀の悟り=解脱なのであれば・・・。
何故?仏陀は六道輪廻から脱したにもかかわらず現世に残ったのでしょうか?
救済などと言う単純なモノではないでしょう。
菩薩の位まで下りたとの話もありません、謎です。
さらに、何十億人に一人できるかどうかと言う、悟りを広めようとしたのは何故なんでしょうか?
何故?仏陀は自分の浄土で救済をしようとしなかったのでしょうか?
仏教は、とてもワカリニクイ宗教ですね。
まぁ、その辺の難しいことはさておき、私も、死ぬまでには、己の半分ぐらいは、わかりたいものです。
曹洞宗の話の続きですが、本山は、永平寺と総持寺の二年ごとの入れ替わり制、これもカナリ独自のモノです。
そして、分派が存在しません。
同じ禅宗の臨済宗は大きく分けて十三?派あります。

永平寺の詳細はこちら→『禅の里・まちづくり委員会』
と、こちら→【大本山永平寺ホームページ】

皆さん、ご自分の宗派わかります?
ご自分の宗派と本尊と根本経典ぐらいは覚えておくと良いですよ。
え?そんなの知っていてあたりまえジャン・・・はい、失礼いたしました。
じゃんじゃん。
只今選曲中.22'冬の弾き語りSONG候補1.<自由でありたい心のままがいい>吉田拓郎。
早速仕込みにかかるぞおぅぅぅぅ(笑)。
え~、今年の春に久しぶりにアコギで弾き語りをしました。
その時のセットリストです。
愛と風のように(愛のスカイラインのテ-マ)/BUZZ
憧れのラジオ・ガール/南佳孝
風をあつめて/はっぴいえんど
幸せな結末/大瀧詠一
雨上がりの夜空に/RCサクセション
アンコール
ただお前がいい(俺たちの旅/ED)/中村雅俊
さて、今回は刷新したい。
が、【風をあつめて/はっぴいえんど】は再演の予定。
候補その一は、今年、勇退を表明した、吉田拓郎に敬意を表して一曲選んだ。
『元気です/1980年』

若き宮崎美子が主演したポーラテレビ小説『元気です!』の主題歌。
アルバム『アジアの片隅で』と同時発売されました。

この曲、歌詞が長い。
四番まである。
「春」「夏」「秋」「冬」のストーリー。
1~4番の各出だしはこんな感じ・・・。
誰もこっちを向いてはくれません一年目の春立ち尽くす私~♪
風よ運べよ遠い人へこの便り二年目の夏涙ともらい水~♪
夕暮れ時には想いがかけめぐり三度目の秋何かが揺れている~♪
自由でありたい心のままがいい四年目の冬寒さを拒むまい~♪
もちろん、作詞・作曲ともに、吉田拓郎。
実はこの曲、現在休止中の私のロックバンド。
Van-Colors(吉田拓郎専門E系カバー:quintet)の十八番です。

再活動、できるかなぁ~。
あなたの人生がいくつもの旅を経て~♪
帰る日来れば笑って迎えたい~♪
私も今また船出の時です~♪
言葉を選んで渡すより~♪
そうだ元気ですよと答えよう~♪
え~、アレンジが少々必要です。
そうそう、吉田拓郎のオールナイトニッポンGOLDのゲストが、な・な・なんと、あいみょんでした。
拓郎が他のミュージシャンをあんなに褒めたのを聴いた記憶がない。
私は、拓郎が自分の音楽人生の最後に、あいみょんにバトンを渡したように感じて、聴きながら目頭が熱くなった。
拓郎、ありがとうございました。