萩。
ご城下に嫁して萩履く暮らしかな/藤埜まさ志

これからの萩のこぼれを見届けむ/坂本敏子

萩については過去のBlogの記事もご覧くださいマセ・・・こちらをクリック→「十月の句会の兼題、【萩】について。2019年」
萩には女性のイメージが重なる。
あまりにもセクシャル過ぎるなぁ。
芭蕉の一句のセイでしょうネ。
一家に遊女もねたり萩と月/松尾芭蕉
行々てたふれ伏すとも萩の原/河合曽良

暁烏萩を手折れと鳴きはじむ/小栗釣月

萩ひと夜乱れしあとと知られけり/小倉涌史
萩のほかの六草の名の重たけれ/加藤鎮司
地図に見る明日行くところ萩の卍(てら・寺)/池田澄子
抱擁の解かれて括り萩となる/八染藍子
萩叢(はぎむら)を括れば四方(よも)の風の歌/小栗釣月

こぼるゝにつけてわりなし萩の露/上島鬼貫
萩咲て家賃五円の家に住む/正岡子規
萩の野は集つてゆき山となる/藤後左右
うち泣かむ萩ひとむらの雨後の景/亀丸公俊
俤の人の裏戸の萩に泣く/小栗釣月

萩と城下町は仲良し。
我が城下は、萩の盛りです。
アクトン卿曰く。
「権力は腐敗の傾向がある。 絶対的権力は絶対的に腐敗する」
プーチンこそ絶対的権力者であったが・・・。
この一か月間のウクライナの戦いに目を見張ります。
ウクライナに勝利を。
ウクライナに平和を。


ウクライナの子どもたちの命を守るためのご寄付にご協力ください。⇒【日本ユニセフ・ウクライナ緊急募金】
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北方領土、尖閣、台湾有事。
明日は我が身でありまするぅぅぅぅ。
令和四年九月、【俳句愛好会・幹】今月の句、落掌致しました。
急に寒くなりましたね。
体調がイマイチであります、年齢を感じますなぁ(笑)。
連衆の皆さんはいかがお過ごしでしょうか。
季節の変わり目、互いに無理せず、ゆるりと行きましょう。
さて、今月の俳句愛好会『幹』の兼題は、『月見』でした。他、秋の季語で自由題。

投稿いただいた会員の皆さんへの、添削&アドバイスは随時。
会報は十月十二日ごろまで送付します。
尚、次回の兼題は、秋の季語、『桃』です。

傍題、桃の実、毛桃、白桃、水蜜桃、天津桃、油桃、ネクタリン、などなど。

食用の桃はチャイナから渡来し奈良時代から栽培されたようです。
古代チャイナで桃は仙木と呼ばれ霊妙を持ち邪気を払う力があるとされました。
古事記の説話や桃太郎伝説もそれが元ですね、雛祭りに桃を飾るのも邪気払いです。
*黄泉の国から逃げる伊邪那岐命(イザナギノミコト)が、追手に対して桃の実を投げつけて逃げ切った話*
日本の桃の原種は小粒で、産毛が密生しており毛桃と呼ばれ主に鑑賞用だったようです。
ジャムとかにはイイんじゃないかなぁ~。

水蜜桃から品種改良されたモノが多いようですネ。
早桃は六月に早くも出荷され、水蜜桃や白桃は八月から九月に出荷されます。
あのぅ~、ヨーロッパの人は、果物の皮を剥かずに食べるんですよ、ビックリポン。
さすがに桃を皮のまま食べた時には超驚いて、それ美味しいの?と聞いてしまいましたよ。
果物は全般、食べるのに厄介ですが、特に桃は大変ですね~。
皮を剥くのも一苦労です、なかなか上手に向けません、コツがあるようです。
さらに、面倒な事に桃には、大きくて堅い種があります・・・、困ります。
そうそう、桃は手で洗ってはいけないらしい(笑)。
大昔、付き合っていた女の子に言われましたよ~。
洗う機会はその後ありませんでしたがネ。

では、例句。
白桃や心かたむく夜の方/石田波郷
白桃は、エロティシズムの象徴と言えますね。
色つや、その形、そして柔らかい産毛。
なので、「夜の方」の解釈は人それぞれで良いでしょう。
白桃の淡さと、夕暮れから夜の領域へ向かう仄かな灯。
繊細で微妙で抒情的な心の動きをあらわしているのかも知れません。
白桃に入れし刃先の種を割る/橋本多佳子
桃の大きくて堅い種を主役とした。
なかなか巧妙であります。
人肌の様な皮の具合、柔らかい果実、そして堅い種。
種がある事を知っているのに、何らかの意図でわざと当ててみたのか?
それともたまたま気を付けていたのに当たってしまったのか?
いや、確信犯でしょう。
どんな音がしてどんな感触なのか確かめたかったのでは?
俳人の性なんですね(笑)。
そしてそれは大成功して、この句が生まれたんです。
果物ナイフが種を切った一瞬の感覚が伝わってきますよね。
普通の出来事をキチンと伝える・・・お見事です。
土に置く山の鎮めの桃五つ/柚木紀子
大昔は、山の神を鎮めるために娘さんが人身御供に出されました。
神への生贄ですよね、人身供犠(じんしんくぎ)とも言いました、可哀想(涙)。
現代はそんなことはありませんが・・・その代わりに桃を供えたのでしょう。
山頂に言い伝えの看板か何かがあって、
お供え物をする場所が残っていたのかな?
秋の山に桃が五つ・・・絵になりますよね。
死にごろとも白桃の旨き頃とも思ふ/河原枇杷男
よぅぅし、そろそろ死のうか、と言う句では無いのです。
何事にも頃合いがある・・・生きているからこそ桃が旨いって事でしょうかネ?
葉隠れの、武士道といふは死ぬ事と見付けたり・・・如何に美しく生きるか、逆説であります。
また、空海の、生れ生れ生れて生の始めに暗く 死に死に死んで死の終りに冥し・・・。
生と死は同等なのではないか?と。
缶詰の桃冷ゆるまで待てぬとは/池田澄子
桃の缶詰の句は珍しいのです。
実は、これ、有名な追悼句であります。
前衛俳句の伝説的な巨人、摂津幸彦(49歳で死去)の為に詠まれました。
交流があった天才俳人のあまりの若い死に・・・。
なんでそんなに貴方は生き急いだのよ、と。
この缶詰はお通夜にある盛籠のモノだろうなぁ。
桃缶は甘くて悲しい味がするのです。
さざなみの形に残る桃の皮/金子敦
下手くそが剥くとこうなる見本(笑)。
桃の皮を剥くのは微妙であります。
コンディションによりかなり左右されます。
硬めなら果物ナイフでヤヤ厚めに、熟しているなら指で剥がすように、と。
桃だけがこのようになるワケですよね、柿や梨ではこうはならないです。
波打つ桃の皮にホッコリとした何かを感じるのは私だけでしょうか?
桃の種桃に隠れむまあだだよ/中原道夫
作者は桃をお上品に食べてはいません。
ワシャワシャと無造作にしゃぶりつき、吸いつくしているんです。
甘い香りが漂よい、手は瑞々しく、果汁が滴り落ちてゆく・・・。
「もういいかぁーい」と作者が言うと、桃の種が「まぁぁぁだぁぁだよぅぅぅ」と答えている。
ゴールは桃の種。
そこにゆっくりとゆっくりと近づいているのですヨ。
翁かの桃の遊びをせむと言ふ/中村苑子
翁(おきな)・・・まず、これが誰かワカラナイ。
『遊びをせむ』=遊びをせん。
平安時代末期の後白河上皇の撰による歌謡集。
『梁塵秘抄(りょうじんひしょう)』の中の「今様」の一説です。
「今様(いまよう)」とは、・・・ナウイ(死語・笑)、最新のと言うコトかな?
平安末期の歌謡界の超新進気鋭の流行歌と言う意味で良いでしょう(笑)。
今様は、遊女(あそび、と、読む、ゆうじょ・傾城に非ず)や傀儡子(くぐつ)などの女芸人によって歌われ、広められた流行歌みたいなもの。
少年時代から早熟だった後白河上皇は、今様にどハマりしました。
身分の低い女芸人に弟子入りして修行の後、当時の今様のNo1となります。
有名な流行歌手になっちゃったって事ですね。
遊びをせんとや生まれけむ
戯れせんとや生まれけむ
遊ぶ子どもの声きけば
わが身さへこそゆるがるれ
桃の遊びとは何かの比喩か?雛祭りではあるまいに・・・。
「かの」が重要ですね、「この」 < 「その」 < 「あの」 < 「かの」
単に有名とかではなく、やんごとなきニオイを漂わせています。
そしてセクシャルな雰囲気も・・・。
で、ここでネタばらし。
作者が俳人永田耕衣宅でたまたま目にした木彫の仏像に、
「美しい形の桃が一つ供えられていた」のを見た感動を詠んだものらしいです。
翁は、古い仏像の定かではない顔の有様、そこに桃を組み合わせのですね。
いわゆる空想の産物・・・う~ん、解説が無いとワカラン、でも、解説も野暮と言えば野暮(笑)。
翁の俤に、いにしえの王朝と雅な恋の行方に思いを馳せたのか?・・・すべては桃ゆえであります。
まだ誰のものでもあらぬ箱の桃/大木あまり
あらぬ、使い方に気を付ける事、二つの意味があります。
この句の場合は、不有(あらず)の連体修飾用法のヤヤ特殊なケース。
本来は、有らぬ、思いもかけないor意外or不都合なと言う意味。
桃の箱を開けた瞬間を詠んだ。
桃は傷つきやすい、皮も薄い、正に箱入り娘だぁぁぁ(笑)。
桃は、美しい未婚の女性であり、純情無垢としました。
その傷一つない肌に汝触れるべからず・・・と。
桃は無邪気に官能的に挑発しているんですね。
桃うかぶ暗き桶水父は亡し/寺山修司
同じ作者の桃の一首。
桃うかぶ暗き桶水替うるときの還らぬ父につながる想い/寺山修司
修司が父と過ごしたのは五歳まででした。
その後、父は戦争に行き、修司が九歳の時に戦病死の知らせが来ます。
修司は二度と父には会えなかったんですよね。
幼い日に父を亡くした修司の父への想いの深さ・・・淡く懐かしい父の幻影?
その亡き父との想い出は桃なのか?悲しくも不思議な余韻の一句です。
うたた寝のあとずぶずぶと桃の肉/柿本多映
生々しい食べ方です、人間と言うよりは動物的。
うたた寝から目覚め、朦朧としつつ桃を食べているのか?いや貪っている。
桃の果実を、「桃の肉」と表現した事で下品ではあるが逆に潤いや瑞々しさを感じさせる。
「ずぶずぶ」という擬音語が桃の存在をリアルにしているのがオモシロイ。

例句は・・・いつも私が言っているイメージ句が一切ありませんね(笑)。
食べ物は、美味しそうに詠む事・・・なのですがネ。
でも、特に秋の果物は美味しそうに詠んで欲しいのですが・・・(笑)。
今回は説得力がまったくありません、とほほほ(笑)。

桃を自分で剥いて。
食べて。
詠んで下さいね。
他、秋の季語で自由題。
締切は十月二十九日です。
藤袴(ふじばかま)。
秋の野に咲きたる花を指折りかき数ふれば七種(ななくさ)の花/山上憶良

七草のいくつあるらん秋の畔/小栗釣月
七草といえば春の七草粥。
秋の七草って何って思う人が普通であります。
しかし、本来、七草粥の正確な表記は、「七種」であり、「七草」とは、「秋の七草」のことを指しているのであります。
え~と、秋の七草は、萩、尾花、葛、撫子、女郎花、藤袴、桔梗。
萩の花尾花葛花なでしこの花おみなへしまた藤袴朝貌の花/山上憶良
この朝貌(顔)は、現在の桔梗でアルとの定説が一般的ですので、あしからず。
最近は藤袴も珍しくなった。
やどりせし人のかたみか藤袴わすられがたき香ににほひつつ/紀貫之
たまゆらをつつむ風呂敷藤袴/平井照敏

奈良時代に唐より渡来し帰化したとも、在来種であるとの説もある。
源氏物語、夕霧は玉鬘に藤袴を差し出して詠いかけるシーンが有名。
「おなじ野の露にやつるゝ藤袴あはれはかけよかことばかりも」
また、桜餅のような香りがする。
ゆえに、平安時代には、藤袴の茎や葉を干した後に水でもどして髪を洗ったとの事。
満州国の国章でもありました。

家持の妻恋ひ日和藤袴/牧長幸子
藤袴歌に詠むべき名なりけり/佐藤紅緑
藤袴ゆれれば色を見失ふ/山下美典
想ひごとふと声に出づ藤袴/英方裕子
不夜城の陽も翳ろうて藤袴/小栗釣月

秋の野ににほひて咲ける藤袴折りておくらん其の人なしに/沙門良寛

藤袴きて脱ぎかけし主や誰問へどこたへず野辺の秋風/源実朝

藤袴にはたくさんの美しい秋の蝶が集いますね。
秋蝶も恋の行方も不穏なり/小栗釣月
昨日(9/27)は、今年初、里山で秋茜を見ました。
たった一匹でしたけどネ、秋らしくなるともっと増えるでしょう。
楽しみです。
【むらかみ宵の竹灯籠まつり/2022 】LIVE出演のお知らせ。
わたくしのインストDuoうつけ無双(E.Sax&E.Guitar)。
最新LIVEのお知らせです。
地元の十月の恒例音楽イベント。
【第21回むらかみ宵の竹灯籠まつり】に参加致します。
規模を縮小しての三年ぶりの開催です。

オフィシャルHPはこちらデス⇒『宵の竹灯籠まつり』
うつけ無双は、二日目の八日(日)が担当で、会場は浪漫亭です。
会場と演奏時間の詳細はコチラでご確認くださいマセ。⇒【竹灯籠まつり/開催日程・会場】
なぜか出演者の欄がDuo名ではなく個人名です・・・・変なの(笑)。
まぁ、どぅ~でもイイんですがネ、演奏さえできれば(笑)。
当日の演奏曲目はすべてBeatlesです。
お時間のアルご近隣の方々は是非おいでくださいマセ。
え~、安倍元首相の本日の国葬儀。
賛否両論ございますが・・・。
穏やかに行われる事を切に希望します。
誰にでも死は訪れます。
アナタの大切な人やお身内の死を想い出して下さい。
死者に鞭を打つ行為は大和民族の伝統ではありません。
どうか、お静かに・・・。
災難に遭う時節には災難に遭うがよく候、死ぬ時節には死ぬがよく候、是はこれ災難をのがるる妙法にて候/沙門良寛
『雁渡し』+ 【秀野忌】
国後は息のむ近さ雁渡し/岡田貞峰

雁は、シベリアから日本に飛来する渡り鳥。
先の戦争で奪われた四島・・・掟破りは露西亜の常套手段だ。
父遺ししシベリヤの匙雁渡し/柴崎甲武信
大勢の日本人が不当にシベリアで抑留され、強制労働などで命を奪われた人も多い。
戦後、北海道の人は、どんな思いで雁渡しを感じたんだろうか・・・。
シベリアから故郷に帰った人々の胸中に去来したモノは・・・。

秋の季語、雁わたしが吹けば冬が近い。
心も身体も構えなくてはならない。
雁渡し、「青北風(あおきた・あおぎた)」とも言う。
初秋から仲秋にかけて吹く北風。
歳時記には、陰暦の八月ごろに吹く北風のことともある。
伊豆や伊勢の漁師の方言だったらしい。

この頃に雁が渡ってくるのでこうよばれた。
もとは伊豆や伊勢の漁師の方言だった。
この風が吹くと秋らしさよりも、冬の近さを感じる。
冷風により、海も空も青く果てしなく澄みわたる。

雁渡し駱駝が急に立ち上がる/松永典子
雁渡しきのふとおなじ船が着く/小澤克己
矢のやうにいつてしまひぬ雁渡し/鷹羽狩行
子の手曳く出勤遅々と雁渡し/林翔
山寺の甍眩しく雁渡し/小栗釣月

君の名の青く零るる雁渡し/小栗釣月


9/26・本日・【秀野忌】
蝉時雨子は担送車に追ひつけず
春暁の我が吐くものの光り澄む
短夜の看護り給ふも縁かな
夏の月肺壊(く)えつつも眠るなる
緑なす松や金欲し命欲し
星降るや秋刀魚の脂燃えたぎる
母と子に影冷えて来し風車
本日、9月26日は、石橋秀野(いしばしひでの)の命日です。

*1909年2月19日~1947年9月26日*
死後1949年(昭和24年)に刊行された句文集『櫻濃く』はあまりにも有名。
【秀野忌】
秀野忌のいとヾも影をひきにけり/石田波郷
秀野忌の秋冷触るる薔薇の白/西島麦南
秀野忌の月をひとしづくと数う/橋本喜夫
秀野忌や秋の螢を病むといふ/石川桂郎
秀野忌より波郷忌までの山の色/西田もとつぐ
日の暮れに羽織る一枚秀野の忌/佐藤博美
秀野忌やしぐるる蝉の息絶えて/小栗釣月
秀野曰く。
「俳句なんどなんのためにつくるのか。
飯の足しになる訳ではなし、色気のあるものでもなし、
阿呆の一念やむにやまれずひたすらに行ずると云ふより他に答へやうのないものである」