『二月尽』+【其角忌(きかくき)】
尾の切れし凧のごとくに二月終ふ/有賀充惠
二月尽雨なまなまと幹くだる/石原舟月
「二月尽」と言う季語は、かなり新しい季語デスね。
頻繁に使われ始めたのは昭和に入ってからであります。
明治よりも以前の人々は陰暦(月齢)で暮らしていたので、二月が終わることへの感慨はゼロでしたでしょうネ。
陰暦の春とは、一月・二月・三月デス、ゆえに、二月は仲春、春の訪れもを待ち望む期待感がありませんでした。
しかぁぁぁぁぁし、現在は違いますよね~。
特に雪国では、三月を待つ気持ち、やっと二月が終わると言う思いは格別のモノであります。
ちなみに、沖縄ではとっくに寒緋桜のシーズンが終わりました。
日本は本当に広いですね~、トコロ変わればでありますね、梅、桃、桜、早く咲かないかなぁぁぁぁぁぁ。

北極の旅の絵葉書二月尽/山田弘子
川幅のいくばくふとり二月尽/能村登四郎
天敵の一尾もをらず二月尽/山田六甲
薔薇の瘤雨のうるほす二月尽/松井志津子
山麓の木々の傷痕二月尽/小栗釣月
私は城跡の旧二の丸あたりに住んでいます。
城山の麓ですね・・・大雪の後のプチ雪崩の影響で桜の幹が折れ、竹も折れました。
痛々しいモノですが、これも自然であります。



旧暦・二月三十日・[閏年]・【其角忌】
俳諧の腕力振るへ其角の忌/高澤良一
其角忌やあらむつかしの古俳諧/加藤霧村

十五から酒をのみ出てけふの月
うすら氷(ひ)やわづかに咲ける芹の花
酒を妻妻を妾の花見かな
梅寒く愛宕の星の匂ひかな
帚木のゐぐいは是にやみの梅
鎌倉や昔の角の蝸牛
武帝には留守と答えよ秋の風
夕立や田を見めぐりの神ならば
本日、旧暦二月三十日[閏年]。
俳人、【蕉門十哲の第一の門弟】、宝井其角(たからいきかく)の命日デス。

寛文元年7月17日(1661年)~宝永4年2月30日(1707年・一説には2月29日とも)
永年の放蕩や大酒が災いして、四十七歳の若さで早逝。
『草の戸に我は蓼食ふほたる哉』と詠む其角に対して、
芭蕉が、放蕩や大酒を改めるようにと願い詠んだとされる一句が、
「朝顔に我は飯食う男なり」と言う事ですが・・・助言、空しくでありますね。
草庵に桃桜あり、門人に其角嵐雪あり。
【両の手に桃と桜や草の餅】と、松尾芭蕉が二人を目の前にして詠ったとか。
また、江戸を拠点とする門人で其角だけが、唯一芭蕉の死に立ち会えました。
宝井其角の酒の句については、大先輩の句友であります。
【淀風庵】氏のHPをご参照下さい。
ココ→「酒の詩歌句集/芭蕉・其角の酒落句」
とにかく異常にエピソードの多い俳人デス。
芭蕉の没後は、一躍江戸一番の超人気俳人となり門人を多数抱えます。
江戸座と言う結社の開闢者となり、崇敬の対象となり、没後も名声が衰えませんでした。
交遊録もなかなかであります。
当初一流の文化人、財界人でありますヨ。
井原西鶴・英一蝶(はなぶさいっちょう)・二代目市川團十郎・紀伊国屋文左衛門・佐々木文山などなど。
蕉門仲間の俳諧集(句集)の編纂の手伝いを好んでやりましたが、自分の句集は生前に一冊も残しませんでした・・・粋ですなぁ。
其角の洒落風俳諧、こんな感じの句デス。
例えば・・・。
闇の夜は吉原ばかり月夜かな
暁の反吐は隣か時鳥
この時代、其角の亜流がたくさん現れます。
ま、アル意味商業主義的?堕落と大衆性は紙一重ですが・・・・如何なものかとの批判も多し?
飲む打つ買うの三拍子、まさに元禄バブルを駆け抜けた人であります。
こうした豪放洒脱にして,放蕩三昧の超インテリな人物であっただけに・・・。
凡人の私など、其角の句は複雑怪奇?な作品も多く・・・分かり易いのもアルんだけどネ。
【其角忌】・晋子忌・晋翁忌。
其角忌の酒飲男やとひけり/谷活東
其角忌や西相模野の紅梅花/石原八束
其角忌やすつかり褪せし句短冊/石川風女
晋子の忌硯に酒を注ぎけり/織田烏不関
煮奴にさかな上るり晋子の忌/加藤郁乎
其角忌や立並ぶべき花もなし/松瀬青々
其角忌や血抜きのしるき櫻鯛/伊丹さち子
慧能には風と答えよ其角の忌/小栗釣月
では、其角の有名でワカリヤスイ?句をいくつか・・・。
切られたるゆめはまことかのみのあと
凩よ世に拾はれぬみなし栗
この木戸や錠のさされて冬の月
寝ごごろや火燵蒲團(布団)のさめぬ内
やりくれて又やさむしろ歳の暮
百八のかねて迷ひや闇のむめ(梅)
朧とは松のくろさに月夜かな
うぐひすや遠(とおみち))ながら礼がへし(年賀の挨拶の返礼)
ねこの子のくんづほぐれつ胡蝶哉
あだなりと花に五戒の櫻かな
寝時分に又みむ月か初ざくら
しら魚をふるひ寄たる四手哉
明る夜のほのかに嬉しよめが君
初雪や門に橋あり夕間暮
赤穂浪士にも出てくるんだから、たいしたお方ですネ。
年の瀬や水の流れと人の身は
明日待たるるその宝船
令和五年(2023年)ニ月、【俳句愛好会・幹】今月の句、落掌致しました。
昨日(2/26)まで雪でした。
マジ、もう雪はいらないなぁ~。
暖かいエリアの連衆のBlogには、梅や目白、そして早咲きの河津桜など。
あ~、羨ましいです(笑)。
こちらは、梅の開花を待ち望んでおります(笑)。
県庁所在地では蕗の薹も出はじめたとか・・・嬉しいニュースです。
歳時記は『春』に持ち替えましたか?
さて、今月の俳句愛好会『幹』の兼題は、春の季語『春一番』でした。

他、冬と春の季語で自由題。
投稿いただいた会員の皆さんへの、添削&アドバイスは随時。
会報は三月十三日ごろまで送付します。
尚、次回の兼題は、春の季語、『蝌蚪(かと)』とします。

蝌蚪とは「蛙の子」です。
はい、通称「おたまじゃくし(お玉杓子)」ですね(笑)。
俳句は、十七文字、なんとか語彙は省略したい。
おたまじゃくしは、六文字、蝌蚪は、二文字、この四文字の差は大きいのです。
そんな事で、俳句は、漢語表現を珍重する傾向にあります。
まぁ、ちょっと使い過ぎかなぁ~とも思いますがね。
日常会話で、「蝌蚪」・・・と言ったら、「はっ?」ってされちゃいますネ。
季語としても最近はあまり使われないみたいですが挑戦してみましょう。
ちなみに、世界の蛙の種類は6000種類以上、両生類の90%が蛙だそうです。
え?両生類は苦手?
見るのも嫌・・・わかります。
そんな方は無理に蝌蚪で詠む必要はありません。
私自身、子供の時は大親友だった蛙君達。
最近はどうもお付き合いしたくないのです(笑)。
この頃は蛙も見なくなりした。
少し離れた里山迄行かないといませんね~。
オタマジャクシも数年は見てないなぁ。
でも、幼い時のイメージで詠めそうでしょ?
では、例句。
蝌蚪に打つ小石天変地異となる/野見山朱鳥
さながら地球に隕石が降って来て大災難とになる・・・映画、アルマゲドンの世界(笑)。
水田に小石を投げ入れたら蝌蚪が一目散に散っていった。
蝌蚪の国は大騒ぎ・・・天変地異の如し・・・この一瞬の出来事を見事にとらえました。
こんな句は、詠めそうで詠めないのであります。
巡礼の如くに蝌蚪の列進む/野見山朱鳥
蝌蚪を静かに観察している作者。
まだ、手足の無い蝌蚪はユーモラスな存在ですが、作者はその一途さを愛しました。
お行儀よく沈黙を守り・・・巡礼者の如く・・・祈るが如く・・・列をなす。
この巡礼者はお遍路では無く、キリスト教の聖地巡礼者ではないでしょうか?
冬日よりあをくイエスを描きたる/野見山朱鳥
作者はキリスト教に精通しており、キリスト教の世界観を多く詠みました。
飛びちつて蝌蚪の墨痕淋漓たり/野見山朱鳥
最初の句は蝌蚪の国が一瞬で消え去った無常観を詠みました。
そしてこの句は、蝌蚪の一匹一匹の命の躍動を詠んだのです。
作者は、ホトトギスの「花鳥諷詠」に対して「生命諷詠」を提唱しました。
小さな生き物のあふれるような生命力、まさに「生命諷詠」、見事です。
淋漓(りんり)、難しい漢字ですね、日常では使いません。
意味は、勢いが溢れ、元気一杯の様を言います。
蝌蚪が飛び散る様を、活き活きと躍動的に墨を散らしたようだと言ったのです。
病に臥せることの多かった作者が命のキラメキを観た瞬間の感動だったのでしょう。
太陽の黒点の子の蝌蚪(かと)泳ぐ/野見山朱鳥
蝌蚪・・・同じ作者で、四作。
もはや、朱鳥祭と言う事で良いでしょう(笑)。
実は、昨日(2/26)の命日の記事では言い足りなかったのです(笑)。
小さい地上の命・・・蝌蚪。
大きな天空の生命の母・・・太陽。
二つの見事な取り合わせ。
地球の生命の根源を高らかに詠みあげました。
川底に蝌蚪の大国ありにけり/村上鬼城
コチラも蝌蚪の国を詠みました。
水棲生物で蝌蚪ほど群や集団をつくる命は少ないのではないでしょうか?
ゆえに、国として成立します、俳句では蝌蚪の国は定番です。
卵もたくさん産みますしね。
卵の敵は激減しているイモリ君ぐらいではないでしょうか?
あ、烏もかなぁ。
この大国、生まれたばかりの蝌蚪達の大群です。
小さくてウヨウヨとたくさん蠢いています。
大きくなりエリアが狭くなると幾つかの集団に分かれ、小国となるワケですね。
蝌蚪生れて月のさざなみ広げたる/峯尾文世
春満月の煌煌とした真夜中・・・。
生れたばかりの蝌蚪達が小さく波を立てている。
水田には月が映り、その微かな波に揺れて月が崩れてゆく・・・。
美しい・・・しかし、観念的な作品でありますね。
現実として見えてはいないでしょう・・・心眼なのです。
神の田にさざ波の立つ蝌蚪の陣/東木洋子
こちらはまさしく実景でしょう。
神の田・・・恐れ多くも皇居の「親耕」かもしれない。
または、どこぞの神社の田圃なのか?
田圃の水が浅いのでしょう、まだ苗を植えてないのではないでしょうか?
作者はそっ~と覗いてみたら小さい生まれたてのタクサンの蝌蚪いました。
その後うっかり作者が音を出してしまったんです。
するとそれが合図となり蝌蚪達は合戦のように一斉に動いたんです。
蝌蚪の陣とは巧く言ったものだなぁ~と感心しました。
お日さまが見たくて蝌蚪の浮き沈む/関口恭代
蝌蚪はずっと水底でウダウダしているワケじゃないのです。
順番に水面に顔をだします・・・蝌蚪だってお日さまを見たいジャン・・・と作者の弁。
確かに立体的に動く蝌蚪の方が可愛らしいと思うのです。
ちなみに蝌蚪はエラ呼吸だけではなく、皮膚と肺も使って呼吸をしています。
呼吸の為に上がってきているんですよ~、なんて言うとこの句は成立しないワケね。
野暮なことを言っちゃ~いけね~よ~と、怒られますね。
蝌蚪うごく火星に水のありしかな/八木幹夫
2004年、地球に来た宇宙からの報告に衝撃が走りました。
NASAの火星無人探査車『オポチュニティー』からのモノでした。
古代の火星には命を育む十分な水が存在していた証拠を発見したのだと・・・。
SFマニアは歓喜しました、SF小説や映画で一番登場する宇宙人は・・・火星人で間違いないから(笑)。
また、最近の研究では、こんな説が・・・。
過去に生息していた火星独自の進化を遂げた生命体が、火星の地下で休眠状態で生き残っている可能性があると・・・興味深いですね~、ワクワクしますね~。
作者は火星の生命体は蝌蚪みたいな生き物じゃないかと想像しました。
ですから、泳ぐではなく・・・「うごく」としたのですね、見事です。
俳句では時事を取り上げることが少なく、成功も稀ですがこの句は非常に良いですね。
口笛や沈む木に蝌蚪のりてゐし/田中裕明
春の日に作者は上機嫌に田圃を散歩しています、俳句のネタ探しでしょうか?
予想通り蝌蚪がいました・・・泳いでいるのではなく木にのっかってるんです。
さて、この蝌蚪は何をしたいのか?木の伝い歩きをしたいのか?
それとも既に足が生えていて陸へ上がりたいのか?
そこで問題は、上五です、季語でないものを詠嘆しています。
もしかすると口笛は幻の・・・心の中の感嘆ではないか?
などと深読みをしてしまう作品です。
蝌蚪と呼ぶべきか蛙と呼ぶべきか/山田弘子
ハムレットである(笑)。
蝌蚪と呼ぶべきか蛙と呼ぶべきか・・・それが問題だ(笑)。
小さい足が生えているのかも、蝌蚪と蛙の間の正式名称は無いようだ。
蛙はヘンタイなんです(笑)。
あ、生物学上の変態っす。
生育過程において形態を変える事をいいます。
蝌蚪は「幼生」、足が生えた蝌蚪=子蛙は「幼体」、蛙は「成体」。
足が生えた状態を「変態個体」と言うそうです。
命は、なかなか奥深いですね~。
ある研究によると、一匹の蛙が生む卵は千個ほど、そして蛙までになるのが二百匹前後、その後産卵に至るまでは、一、ニ匹なのだそうです。
なんと、0.1~0.2%、そう思うとオタマジャクシ君を応援したくなりますね。
他、なるべく春の季語で自由題。
締切は三月三十日です。
会員以外の方の投稿も大歓迎。
鍵コメやメッセージにて送って頂ければ良いです。
『黄梅(おうばい)』+【朱鳥忌(あすかき)】
黄梅や日曜ミサへ通ひ猫/山田六甲

支那原産。
迎春花とも言う。
某日、某所で鉢植にされて床の間に・・・非常に珍しい。
室内にある黄梅は、なにやら、淫らな感じであります(笑)。
それなのに、香りが全くありません。
不思議な花。
黄梅や帯を緩める白拍子/小栗釣月

ちなみに、梅とは別種であります。

魁けし花は黄光迎春花/阿波野青畝
春望の西安どこも迎春花/松崎鉄之介
黄浦江に雨降りやまぬ迎春花/名和未知
黒塀を廻らす館迎春花/三浦凡子
裏木戸に間男来たり迎春花/小栗釣月

庭隅に黄梅明り雀来る/井関祥子
黄梅の辺りの明るさこそ熟女/伊藤希眸
黄梅の弾ねる風下筆洗ふ/菅裸馬
一枚の石へ黄梅滝なせる/松本三千夫
黄梅や小指絡める浮かれ妻/小栗釣月
本日、二月二十六日は、野見山朱鳥(のみやまあすか)の命日です。

大正六年(1917年)四月三十日~昭和四十五年(1970年)ニ月二十六日
『苦悩や悲哀を経て来なければ魂は深くならない』
生命諷詠は「季題を通して永遠の生命にふれようとする詩精神である」
朱鳥は、今一番好きな俳人。
なんとも言えない味わいと深みに感動。
生涯は一度落花はしきりなり
蝌蚪乱れ一大交響楽おこる
裸子や涙の顔をあげて這ふ
わが中の破船を照らすいなびかり
秋風や書かねば言葉消えやすし
月光は天へ帰らず降る落葉
雉子鳴いて冬はしづかに軽井沢
初雪は隠岐に残れる悲歌に降る
高浜虚子に師事。
虚子に、『曩(さき)に茅舎(愛弟子・川端茅舎44歳没)を失ひ今は朱鳥を得た』と賞賛された俳人。
「菜殻火」、創刊、主宰と同時に、ホトトギス同人。
虚子没後八年、朱鳥五十歳の時にホトトギス同人を辞す。
後に、波多野爽波、橋本鶏二、福田蓼汀らと注1「四誌連合会」を結成。
病を併発して人生の三分の一は病床にあり、常に死を見つめる生活でした。
なほ続く病床流転天の川
仰臥こそ終の形の秋の風
【朱鳥忌】
朱鳥忌の河口へ急ぐ雪解川/野見山ひふみ
その朝の雪の記憶よ朱鳥の忌/中尾有為子
春泥に落ちて火の粉や朱鳥の忌/鳥海むねき
一行の序文を得たる朱鳥の忌/松田ひろむ
明星に火の鳥のゆく朱鳥の忌/小栗釣月
*野見山ひふみは朱鳥の妻。
朱鳥の句をもう少々・・・。
冬日よりあをくイエスを描きたる
われ蜂となり向日葵の中にゐる
鮎食べて音のよろしき竹筒酒(かっぽざけ)
天高く地に菊咲けり結婚す
落椿天地ひつくり返りけり
蝶の恋まぶしきまでに昇りつめ
つひに吾れも枯野のとほき樹となるか
一枚の落葉となりて昏睡す
降る雪や地上のすべてゆるされたり
【注1】四誌連合会~1958年、野見山朱鳥の「菜殻火」、福田蓼汀の「山火」、橋本鶏二の「年輪」、波多野爽波の「青」の四誌が連合会を発足させ、協力して新人の発掘、育成にあたった。
辞世句
【腹水の水攻めに会ふ二月かな】
【亡き母と普賢と見をる冬の夜】
「東に上野泰あり、西に野見山朱鳥あり」とも言われました。
また、火と赤を愛した俳人でもありました。
虚子の生前に、「偉大な虚子を見て彼の俳句を見るのではない。俳句を見てから虚子を見るのだ」と師の研究をする豪胆さも類を見ない。
恐るべし、野見山朱鳥。
合掌。
旧暦・延喜三年二月二十五日・【道真忌】+【茂吉忌】
有名な「飛梅伝説」。
道真公の梅は、なんと!500kmも飛んだのです。
~東風吹かばにほひをこせよ梅の花主なしとて春な忘れそ~
『此の度は幣(ぬさ)も取り敢へず手向(たむけ)山紅葉の錦 神の随(まにま)に』・小倉百人一首
本日は、日本三大怨霊の一人にして、学問の神様でもあります、菅原道真公の命日です。



承和12年6月25日(845年)~ 延喜3年2月25日(903年)
道真公を知らない人はいませんネ。
怨霊→学問の神になった経緯は有名ですが、ワカラン人はググッて下さい。
道真公に所縁のアル、初春の季語、道真忌別名、【菜種御供/なたねごく】
他、「北野御忌日(きたのおんきび)」・「天神御忌(てんじんおんき)」・「梅花祭(ばいかさい)」・「梅花御供(ばいかごく)」などなど多数。
本日の、菅原道真公の命日には、道真公を祭神とする全国の天満宮で梅花祭の例祭が行なわれます。
特に、全国1万2000社の天満宮、天神社の総本社・北野天満宮でのこの祭礼は、古くは「北野菜種御供(きたのなたねごく)」ともいい、春の季語でありますが・・・長い(笑)。
西の京の旧社人が菜の花を挿して献じたのでこの名があるとも言われ、現在は神饌に梅花を挿すので梅花祭とも呼ばれるようになりました。
大阪の北野神社、河内の道明寺、東京の亀戸天神などでも同様の祭りがあります。
では、道真公に関係する句を・・・。
梅花祭舞妓の髪に雪が降る/尼崎たか
曇りより雨となりたる菜種御供/森澄雄
ともしびの洩れくる菜種御供の森/加藤三七子
朗々と祝詞清しき梅花御供/高嶋象子
西陣の帯の売れ行き梅花祭/星野野風
猫足の着物召しませ梅花祭/小栗釣月
本殿に琴運び込む菜種御供/椹木啓子
尼宮に風まださむき菜種御供/高木石子
一つづつの小さき黄だんご菜種御供/物種鴻兩
怨霊は神とも呼ばれ菜種御供/小栗釣月
梅花祭、とにかく賑やかで盛大であります、特に舞妓はあぁぁぁんが良いのです。

道真公、支那・露西亜・朝鮮の悪鬼魔物からも日の本をお守りください。



【茂吉忌】
なにかを光らせるには、光るまで磨くだけでいい。
実相に観入して自然・自己一元の生を写す。
これが歌の上の写生で、写生は決して単なる記述などではない。
《最上川逆白波のたつまでにふぶくゆふべとなりにけるかも》
《月落ちてさ夜ほの暗く未だかも弥勒は出でず虫鳴けるかも》
本日、二月二十五日は、歌人、斎藤茂吉(さいとう もきち)の命日デス。

1882年(明治15年)5月14日~1953年(昭和28年)2月25日
正岡子規の歌集『竹の里歌』を読んで感銘を受け、歌人を志し、あの伊藤左千夫に師事する。
アララギ派、精神科医、作家の北杜夫は次男。
近代歌人の中で最も良寛の影響を受けた人物ではないか?
良寛の本歌取り、と言うよりも、まんまコピー的な作品もあるやに(笑)、ま、それもご愛敬か(笑)。
鰻が大好物で、食すと『数分で樹々に緑が鮮やかに見える』と、言ったほど・・・。
以下、食いしん坊の歌は美味しそうなのである。
東京の弟がくれし稚鯉こよひ煮たればうまらに食はむ
黒貝のむきみの上にしたたれる檸檬の汁は古詩にか似たる
ゆふぐれし机のまへにひとり居りて鰻を食ふは楽しかりけり
【茂吉忌】・童馬忌・赤光忌。
潤ひてまた乾く頭や茂吉の忌/藤田湘子
国訛まねて母恋ふ茂吉の忌/新倉和子
燈を消して白き山あり茂吉の忌/平畑静塔
茂吉忌のオランダ坂に蝶生る/下村ひろし
一椀の雪あかりして茂吉の忌/大木あまり
山鳩の一声の鞭茂吉の忌/国光勢津子
マザコンはをのこのさがよもきちのき/小栗釣月
【斎藤茂吉】と言えば、母への歌ですね。
私も、母の亡き今、心にこみ上げてくるものがあります。
足乳根(たらちね)の母に連れられ川越えし田こえしこともありにけむもの
みちのくの母のいのちを一目見ん一目みんとぞただにいそげる
死に近き母に添寝のしんしんと遠田のかはづ天に聞ゆる
のど赤き玄鳥(つばくらめ)ふたつ屋梁にゐて足乳根の母は死にたまふなり
わが母を焼かねばならぬ火を持てり天つ空(あまつそら)には見るものもなし
2018年にリニューアルオープン!こちらをクリック→【斎藤茂吉記念館HP】
ニ月二十四日~七十二候・その五[霞始靆(かすみはじめてたなびく)]
遠山に霞たなびきいや遠に妹が目見ねばあれ恋ひにけり/柿本人麻呂
森霞む日付けの赤き日曜日/櫛原希伊子

二十四節気・第二・【雨水】・次候。
七十二候・その五[霞始靆]
春霞などと言いますが、『霞』単独でも春の季語です。
「霞(かすみ)」は明るい間のみに使い、夜になると「朧(おぼろ)」となります。
霞と朧に見え隠れする花鳥風月・・・たまりませんなぁ~、美しい。
ちなみに、春は霞ですが、秋は霧となります。
霞はたなびく、霧は立つ、であります。
しかし、この感覚はホボホボ観念的なモノですね。
気象庁では、すべて、【霧】で統一されています。
でも、霧じゃぁなぁ~、春の雰囲気が全然出ませんよ。
名曲、朧月夜だって、霞です(笑)。
春の霞は、軽く・暖かく・柔らかく、「たなびく」のであります。
古人は、「たなびく」霞を、春山の衣装にも譬えました。
霞の衣、裾、袖、褄、などなど・・・。
春の女神、佐保姫の衣なのかもしれませんネ。

では、『霞』にて。
われは恋ひきみは晩霞を告げわたる/渡辺白泉
平家村霞の中を耕すか/笹倉さえみ
安房を見せ伊豆は隠して春霞/鷹羽狩行
山彦を眠らすほどに霞みけり/佐々木東道
弟と日暮れを立てば鐘霞む/柴崎七重
夕暮れの母泣く丘の霞けり/小栗釣月

支那の宣明暦、七十二候・その五は、鴻雁来。
他国で越冬した鴨や雁が支那へ戻ってくる頃。
旧暦・二月二十四日・『内藤丈艸(丈草)』の命日です。
前書き、「はせを(芭蕉)翁の病床に侍りて」
以下、芭蕉臨終直前の枕頭で詠んだものである。
~うづくまる薬缶(やかん)のもとの寒さかな~
「丈草、出来たり」と芭蕉に褒められたとか・・・。
うかうかと来ては花見の留守居哉
大原や蝶の出て舞ふ朧月
淋しさの底ぬけてふるみぞれかな
慈愛の人であります、内藤丈草、蕉門十哲の一人。

寛文2年(1662年) ~元禄17年2月24日(1704年)
師、芭蕉没後喪に服し、三年間で芭蕉追善の為に千部の法華経を読誦したとも言われる。
のちに龍ケ岡の西に仏幻庵を結び隠棲した、蕉門の大勢の人々にも深く敬愛されたとのコト。
丈草の句をもう少々。
狼の声そろふなり雪のくれ
初秋やをのづととれし雲の角
ねばりなき空に走るや秋の雲
ぬけがらにならびて死る秋のせみ
幾人かしぐれかけぬく瀬田の橋
榾(ほた)の火やあかつき方の五六尺
鷹の目の枯野にすわるあらしかな
水底を見て来た貌の小鴨哉
*丈艸佛幻庵址
