「会いたいよパパ」+『みすゞ忌』。
この時期、東日本大震災のタクサンの記事を読みます。
先日読んだ、亡くなった幼い娘さんの遺骨を探し続けるご両親の話も・・・。
泣いちゃいましたよ、お辛いでしょうね~。
とにかく、何を読んでも泣きます、泣き疲れです。
え~、そして、毎年、毎年。
必ず想い出す詩があるんです。
その詩は、2020年3月9日の産経新聞に掲載されました。
詩の作者は、当時八歳の梨智(りさと)さん。
3.11・東日本大震災の時に、梨智さんはお母さんのお腹の中にいたんですね~。
そして、父娘は、この震災で、とうとう会うことが叶わなかった。
お父さんの無念は如何許りかと・・・。
「あいたいよ パパ」 奥田梨智
パパ あのね
パパがてんごくにいったあと
七月十二日に
わたしが生まれたよ
「あいたいよ パパ」・詩の全文はこちら→「パパは私に似ているって教えたいな」 天国の父に届ける詩 奥田梨智さん
記事はこちら→産経新聞『天国の父に届ける詩』

年をとると誠に情けないのですが、なんど読んでも泣けてきます。
ユルユルのこの涙腺をなんとかして欲しいのですがね~。
残された私達は亡くなった人々の無念も抱えて生きていかなければなりません。
明日(3/11)が来ます。
合掌。
今夜も、月下にて献杯。
3/10・本日・『みすゞ忌』。
みすゞ忌の小郡駅の春ともし/東條未英
みすゞの忌すずめの交尾目のあたり/白井健介
みすゞ忌の観音様は悲しそう/小栗釣月
金子みすゞを有名にしたのが以下のCMの詩。
【こだまでしょうか】 金子みすゞ
「遊ぼう」っていうと、「遊ぼう」っていう。
「馬鹿」っていうと、「馬鹿」っていう。
「もう遊ばない」っていうと、「もう遊ばない」っていう。
そして、あとでさみしくなって、 「ごめんね」っていうと、「ごめんね」っていう。
こだまでしょうか、いいえ、誰でも。
今日、3月10日は詩人、金子みすゞの命日デス。

1903年(明治36年)4月11日~1930年(昭和5年)3月10日
26歳で死去するまでに約五百編もの詩を創作した。
西條八十、曰く、「金子みすゞは、若き童謡詩人の中の巨星である」
残念ながら夫に恵まれず、その結果自死・・・興味のある方はググッて頂きたい。
生誕の地、長門市では、金子みすゞを顕彰するために、全国俳句大会などを開催し、「みすゞ忌」を季語として定着させる活動してきました。
俳人はどんどんみすゞ忌で詠みましょうよ。
それが供養になると、私は信じています。
みすゞさん安らかに~第90回みすゞ忌~はこちら→『みすゞ忌法要2019/長門市ホームページ』
みすゞの詩には、絶対的な孤独と愛がアル。
だから、なおさら、悲しいのです。
【さびしいとき】 金子みすゞ
わたしがさびしいときに、
よその人は知らないの。
わたしがさびしいときに、
お友だちはわらうの。
わたしがさびしいときに、
お母さんはやさしいの。
わたしがさびしいときに、
ほとけさまはさびしいの。
みすゞが天上界で安らかに過ごしていることを願います。
金子みすゞ記念館→「金子みすゞ記念館HP」