三月十一日・東日本震災・・・十二年。
四肢へ地震(ない)ただ轟轟と轟轟と/高野ムツオ
三・一一神はゐないかとても小さい/照井翠
瓦礫の石抛る瓦礫に当たるのみ/高柳克弘
冤霊に列す原発関連死/正木ゆう子
毎年の事ですが、この日を句に詠む事が憚られる。
まぁ、実力不足もありますが・・・私が現地で体験をしていないからであります。
誤解しないで頂きたい。
体験しなかった事を詠むな歌うなというワケではないのですヨ。
原爆忌や終戦忌などは、広く詠まれています。
それらの季語と比べて、【3.11】は、まだ、生暖かいんです。
体験していない力量の無い者が詠めば歌えば、それは嘘ッポクなる。
それこそ、【3.11】の、ご遺族や死者に対して冒涜ではないかと・・・。
一部の結社などでは、【3.11】を、震災忌、東北忌、として詠んでいます。
しかしながら、いまだ定着せずと言ったトコロでしょうか。
原發忌福島忌この世のちの世/黒田杏子
さすが大ベテランの黒田杏子女史であります。
【3.11】を季語とするのはこれからでしょうと・・・。
震災後、宮城の被災地を尋ねました・・・呆然としました。
デジカメにたくさん写真を撮りました・・・。
しかし、その日の夜の宿で全部消してしまいました。
辛い一日でした。
今は、なるべく、プロアマ問わず、震災体験者が詠んだ句や歌に寄り添うべきではないかと思っています。
そして、遺族の声を、死者の声なき声を、聴くべきなのではないかと・・・。
風花は声なり声は聞こえねど/高野ムツオ
車にも仰臥という死春の月/高野ムツオ
春光の泥ことごとく死者の声/高野ムツオ
俳人、高野ムツオ(「小熊座」主宰)氏は、被災しました。
ご自宅の近くまで津波が押し寄せていたとの事です。
震災句が収められた句集、『萬の翅』

泥の底繭のごとくに嬰(やや)と母/照井翠
喉奥の泥は乾かずランドセル/照井翠
芋殻焚くゆるしてゆるしてゆるしてと/照井翠
同じく、俳人、照井翠女史も被災したのです。
震災句が収められた句集、『龍宮』

新刊、『泥天使』

死者の声が聴こえぬものは、【3.11】を詠んではいけないのではないかとも思うのであります。
ご存じ・・・風の電話。

映画化もされましたね。

春の星風の電話に立つ乙女/小栗釣月
え~、短歌も随分震災を詠んでいますネ。
三十一文字を使いストレートに詠まれると感涙しかありません。
昨年のさえき氏のBlogに掲載されていた多数の歌から、今回はニ首のみだけ掲載させて頂きます。
「花を見においで」と言ひし友の亡くまた巡り来る花の季節は (沢村柳子/宮城県仙台市)
骨上げの骨に混じりてヘアピンの二つ三つあり逝きし十六 (志賀元子/福島県相馬市)
神仏に願いなどせぬ春弥生/小栗釣月
合掌。
月下にて献杯致します。
三月十一日・七十二候・その八[桃始笑(ももはじめてさく)]は、明日(3/12)に致します。