四月三十日~七十二候・その[牡丹華(ぼたんはなさく)]
牡丹花は咲き定まりて静かなり花の占めたる位置のたしかさ /木下利玄
はなびらに風添へてあり牡丹売り/田口武

二十四節気・第六・【穀雨】・末候、牡丹華。
牡丹の花が咲き始める頃・・・。
『丹』は赤を、『牡』はオスを表す漢字。
強烈な、赤い花の意味であるそうです。
「立てば芍薬 座れば牡丹 歩く姿は百合の花」
実は、牡丹の季語は、【夏】であります。
私の地元、今年は早くも咲き始めました。
仲良しのBlogでは早々に牡丹が咲き誇っています。

薬草として支那から伝わった牡丹ですが、平安時代には宮廷や寺院で観賞用として栽培されました。
一説によれば、弘法大師空海が持ち帰ったとの話もあるんですが~???
今日、初夏の花の代表でしょう。
俳句や短歌はもちろんの事、日本画など芸術モノのテーマとして多く使われています。
本家?の支那では、国の代表花として牡丹があげられ、数え切れないほどの逸話や美術に登場します。
格調高い姿、甘く上品な香りゆえ、褒め称える異名も多し。
「富貴草」・「百花王」・「花王」・「花神」・「天香国色」・などなど。
牡丹の花は二十日ほど楽しめることから「二十日草(はつかぐさ)」の名も持ちます。
ちなみに牡丹の花言葉は「王者の風格」であります。
では、牡丹の蕾にて・・・。

夫の忌に玉の蕾の牡丹かな/山城やえ
牡丹蕾む家に嫁の荷届きけり/高田幸枝
蕾より紅唇覗く牡丹かな/都留嘉男
つんつんと尖る牡丹の蕾かな/高倉恵美子
紅淡き牡丹の蕾ほぐれ行く/岡田麻枝
恋牡丹蕾のままに四月過ぐ/小栗釣月

薔薇と牡丹は、まっことにぃぃぃ、詠みにくいネ(笑)。
さて、四月も終わりです。
皆様、連休明け、五月病の発動しませんように・・・。
学校に行けぬと泣く子四月尽/小栗釣月
近代文学者として、最も尊敬する人物、永井荷風。

四月三十日、本日・永井荷風の命日デス。→【荷風忌】
断腸亭日乗は、毎日読んでも飽きません。
『竹の秋』+【昭和の日】
夕風や吹くともなしに竹の秋/永井荷風

なぜ春なのに、秋なのか?
春の季語、竹の秋。

竹は、「春」と「秋」が真逆になるんです。
樹木は秋に黄葉(紅葉)しますが、竹は春に黄葉します。
異常ではありません、これを、竹の秋と言います。

竹は春に繁殖期を迎えますが、見えない地下茎の増殖です。
はい、別名、竹の子(筍)であり、筍に栄養分を与えるため竹の葉が黄葉しちゃうんですよ~。
自然って上手くできていますね~。

林中の冷えつつすでに竹の秋/岡本眸
過ぎ易き日々を数へて竹の秋/藤井昌治
招かれし生前葬や竹の秋/天野みゆき
山頂の古墳への道竹の秋/松崎鉄之介
風青く甘く流るる竹の秋/小栗釣月

竹の秋最後の瞽女の墓参/小栗釣月
墓地は竹林に囲まれているトコが多いですね。
土葬の名残とも言われていますが・・・どうなんでしょうかネ~?
本日は、【昭和の日】。
『昭和天皇』のお誕生日であり、旧みどりの日(現在は5月4日)。

祝日はせめて心に、日本の国旗を掲げましょう♪

昭和天皇の戦争責任についてアレコレ言うのは自由でしょう。
先の戦争の考え方は、右左、鷹鳩、国内外、それぞれでしょう。
極東国際軍事裁判(通称、東京裁判)の冒頭において・・・。
アメリカ側主席検事ジョセフ・キーナン曰く。
「天皇を戦争犯罪人として裁判しない」
昭和天皇は戦争犯罪ではないと宣言した事は、至極当然です。
マッカーサーとの会談も有名ですが・・・。
これについては、多くを語る必要はありませんね。
たくさんの資料があり、本があり、そして映画にもなっています。
興味のある人はググルなり、あれこれ探してみると良いでしょう。
私は、この時の天皇陛下のお言葉を忘れられません。
「私は、国民が戦争遂行するにあたって、政治、軍事両面で行ったすべての決定と行動に対する全責任を負うものとして、私自身を、あなたの代表する諸国の採決に委ねるため、お訪ねした」。
マッカーサー元帥曰く。
「私は、この瞬間、私の前にいる天皇が、日本の最上の紳士であることを感じとったのである」。
さらに、こうも言っている、「天皇に戦争責任を追及できる証拠は一切ない」、と。
異論反論ございますでしょうが、それはそちらの事情でしょうとしか言えませんね。
じゃんじゃん。
令和五年(2023年)四月、【俳句愛好会・幹】今月の句、落掌致しました。
新緑の季節が到来します。
来月、五月六日(土)は、立夏です。
歳時記は、夏季になります。
今年の夏は暑いそうですよ。
さて、今月の俳句愛好会『幹』の兼題は、春の季語、『風車』でした。

他、春の季語で自由題。
投稿いただいた会員の皆さんへの、添削&アドバイスは随時。
会報は五月十日ごろまで送付します。
尚、次回の兼題は、夏の季語、『五月雨(さみだれ)』とします。
他、五月雨(さつきあめ)。

五月雨を集めて早し最上川/松尾芭蕉
芭蕉の代表句にして、奥の細道の名吟の一つですね。
季語としての五月雨とは、単純に五月の雨ではありません。
旧暦の五月~六月の雨季、今の梅雨の時期の事です。
新暦では、現在の六月から七月頃。
この芭蕉の句は、7月15日(旧暦五月二十九日)、山形尾花沢。
高野一栄宅にての歌仙(俳諧連歌)の「一巡四句」の発句(ほっく)なのです。
ちなみに、最初だけ掲載しますね。
五月雨を集めて涼し最上川/松尾芭蕉
岸にほたるを繋ぐ舟杭/高野一栄
瓜畑いざよふ空に影待ちて/河合曽良
里をむかひに桑の細道/高桑川水
当初は、涼しでした。
しかし、この俳諧連歌の数日後、轟音濁流渦巻く最上川を清川まで舟で下ります。
この時の体験の様子を・・・「水みなぎつて舟あやうし」と、芭蕉は奥の細道に記しています。
サスガ、日本三大急流・・・現在もこんな感じです。

奥の細道の本稿には、恐怖の体験から・・・。
~五月雨を集めて早し最上川~と、置きました。

繰り返しますが、五月雨は、単に五月の雨ではありません。
新暦の六~七月頃に来る梅雨の事です。
農耕民族であった、我々の先祖は、五月雨を恵みの雨としました。

さみだれ、の、<さ>・・・これは、田の神の意味なのです。

ゆえに、旧暦の五月、さ・つき=田の神が山より再臨して、田植えをする農民を見守る月なのです。
早乙女(さ・おとめ)も田植えをする女の人ではなく、田の神をご接待するお役の女の人なのです。

早苗(さ・なえ)も、稲の苗と言うよりは、田の神の宿りし神聖なモノなのです。
また、五月雨(さ・みだれ)=田の神の水垂(みだれ・乱れ?)の意味との説もあります。
ココで神話のお話。
天照大御神が地上の支配者に孫の邇邇芸命(ニニギノミコト)を任命します。
その天孫降臨の時・・・稲穂を手渡し、「この稲を育てて日の本を豊かにするように」とニニギノミコトに命じます。
これが、いわゆる、三大神勅(しんちょく)です。
其の一、「天壌無窮(てんじょうむきゅう)の神勅」~日の本の君主である自覚せよ。
其の二、「宝鏡奉斎(ほうきょうほうさい)の神勅」~私利私欲と我を捨てなさい。
この時に、八咫鏡(やたのかがみ・三種の神器の一つ)を渡されます。
其の三、「斎庭稲穂(ゆにわいなほ)のご神勅」~稲を育てて、国を繁栄させなさい。
え~、詳しくは、古事記をお読みくださいマセ。
ちなみに、三浦しをん氏の御父様の、通称「しをん・パパ」の名著。
ベストセラー『口語訳 古事記』がオススメです。
平安時代、田植えは神事でありました。
もちろん、現在も宮中ではそうですが・・・。
やんごとなき方々もこの五月雨の時期。
男性は女性の元へ通わないと言うのが、お約束だったようです。
枕草子には、『五月の御精進(みそうじ)』との記載があります。
御精進=精進の事で、己の行いを慎み身を清める月・・・。
ですから、歌を送るぐらいに留めたのです。
古い言葉で、旧暦の五月・・・五月忌(さつきいみ)との言葉があります。
現在でも、エリアによっては、旧暦の五月には、婿取り、嫁取りをしないそうであります。
では、例句。
五月雨や大河を前に家二軒/与謝蕪村
正に絵画、はい、蕪村は絵師でもありましたから当然です。
元祖、客観写生か?子規が唯一手放しで褒めた俳人です。
この大河・・・、蕪村は、もしかしたら支那をイメージしたのかもしれませんね。
と、すると、この句は想像の産物かもですね。
とは言え、なかなかの臨場感ではありませんか。
この二軒は、今、濁流に押し流されそうな小さな農家なのでは?
蕪村で五月雨、他・・・五月雨や滄海(あおうみ)を衝く濁水
五月雨や三日みつめし黒茶碗/夏目成美
江戸後期の俳人。
小林一茶と親交があった。
蔵前の札差(米の仲介&高利貸し)である井筒屋の六代目。
長雨で家の中に居続けだったのだろう。
やることがないから、茶の湯でも楽しんでいたか?
黒茶碗と言えば、千利休。
たぶん、高級な黒楽茶碗(くろらくじゃわん)ではないか?
茶の湯の通に言わせれば見飽きないとか(笑)。
五月雨や猫かりに来る船の者/鶴田卓池
紺屋に生まれ家業を継ぎ自由に生きた。
俳諧「天保の四老人」の一人。
三河エリアの俳壇の中心的存在でありました。
性格は温厚にして洒脱、且つ、超酒豪で半端無い女好きであったらしい。
この句には、前書きがあり・・・。
「新潟夜泊」とある、寛政三年(1791年)、出雲崎にて宿をとっている。
出雲崎は落ちぶれても金山の町、いわゆる花街でもあったはず・・・。
と、言う事で、、この句の「猫」は「遊女」の事でしょうね。
卓池の事ですから、一人の遊女では足りないハズ。
数人抱えていたうちの一人を差し出した?と言う事でしょうか?
五月雨や上野の山も見あきたり/正岡子規
既に覚悟があったのではないか?
死の前年(明治三十四年)の作です。
一緒にこの句も添えてあります。
病人に鯛の見舞や五月雨
比べてみましょう。
明治二十五年の作品。
五月雨やけふも上野を見てくらす
五月雨に御幸を拝む晴間哉
趣きが全然違いますね~。
見飽きたとは言いながらも、諦めのようなモノさえ感じますね。
子規は根岸の庵から、毎日毎日、長雨を見ていたのでしょう。
雨に煙る上野の山・・・もう、見飽きたよ、し・か・し・・・なのであります。
それでも、見る執着を捨てきれない。
この子規が生涯の短さを早く悟ったゆえに、短詩系の大改革を成し遂げたのであります。
船頭も饂飩うつなり五月雨/泉鏡花
鏡花は異常な潔癖症でばい菌恐怖症。
ゆえに、舟遊びや料亭で芸者をあげたりはしないはずです。
船頭さんは、花見の多忙な時期が終わってホッと一息。
そこに、長雨で暇を持て余し・・・退屈?なので饂飩を打っている。
もしかすると唯一の趣味なのかもしれないなぁ。
船頭仲間に振舞っているの図か?
そして、鏡花が不思議そうにじっと見ているんですね~(笑)。
え、こんなモノ食べるのかと(笑)。
五月雨や起き上がりたる根無草/村上鬼城
耳が悪く、座右の銘が「心眼」ならぬ「心耳」。
ゆえに、「心耳(しんじ)の詠み人」として名高い。
近代俳句の巨星であります。
境涯の俳人などと言われて、一茶ともヨク比較されます。
一茶よりも品があるとの評価多し(笑)。
この句の根無草とは、夏の季語の萍(浮草)ではありません。
田圃から引き抜かれ根が千切れた雑草の事であります。
それが、畔道に捨てられていたのです。
時間が経ち、カラカラに乾いて枯れかけていた雑草・・・。
しかし、五月雨の水を得て精気が戻り立ち上がった。
鬼城は自分の人生とこの雑草とを重ねます。
そうだよ、俺は、何度も何度も起き上がってきたんだと。
のみさしの茶の冷たさよ五月雨/高村光太郎
のみさし、漢字では飲み止しと書く。
飲んでいて途中でやめること。
また、その飲み物・飲みかけ。
長雨、病人の智恵子・・・心も鬱々としていきます。
それを看護する、光太郎はもっと辛かったと思う。
智恵子を看ながらでは、ゆっくりとお茶を飲む時間もなかったのではないか?
智恵子抄を読んでいる人ならば、この辛さがわかるハズです。
五月雨やペン立に入りきらぬペン/杉浦典子
長雨に、作者はムシャクシャしている。
いつものペン立てだ、容量等わかっているハズ。
そこに雨の如く、ドバッと無理やりペンを入れてみたのだ。
八つ当たりと言ってもよい。
そして、入りきらないペンは、机上に拡散する。
字余りがペンのばらけた様子をうまく出しています。
非常に技巧的。
五月雨やものをうつ音みな違へ/吉田葎
長雨、外に出ず家でボゥ~としている。
やることも無いから雨の音に耳を傾けていると発見があった。
雨に打たれているそれぞれのモノの音が違うのです。
当り前のことを当たり前と認識した時に発見があるのであります。
靴下の濡れて五月雨男かな/山田六甲
水も滴る・・・男。
靴下まで濡れているとは・・・まさにずぶ濡れ状態。
それを、さみだれおとこ・・・と、面白い(笑)。
自虐なのか、自惚れなのか。
作者は、俳句結社「六花」の主宰。
副主宰で編集長の、『ことり女史』、この方もなかなかお面白い句を詠む。
駅前のだるま食堂さみだるる/小豆澤裕子
昔はどこの駅前にも地元の定食屋や町中華があった。
私は行きつけの茶店があったが・・・。
現在の駅前はさびれて祭のあとの如し。
大店舗の跡地は駐車場になり、病院の跡地は工事が続くが建物は立たない。
閑散とした駅前、空洞化が進み、郊外化も限界が来つつあり、人口は激減です。
町は衰退していくばかり・・・あ~昔は良かったブルース(笑)。
細胞はこゑなく死せり五月雨/髙柳克弘
人間は我儘です。
その思いを吐き出すのは、声です。
寒い、暑い、鬱陶しい、口から出るのは文句ばかり(笑)。
しかし、その本体は、沈黙の中粛々とリサイクルされているのです。
新陳代謝とも言います(笑)。
例えばギタリストに大切な爪。
肌の角層が変化したもの、死んだ細胞の集合です。
身体を覆っている皮膚もそうであります。
成人男性で体重の60%、新生児で約80%が「体液」とよばれる水分です。
水の惑星の水の生命たち、で、一番進化した生き物が我々?です。
五月雨の沈黙の中、じっと雨を見つめつつ、自分の身体にまでトリップしたのです。
作者は現在日本一であろう俳句結社『鷹』の編集長。
そして、次の主宰でしょう、たぶん(笑)・・・奥様は、あの神野紗希女史でございます。
他、夏の季語で自由題。
締切五月三十日です。
会員以外の方の投稿も大歓迎。
鍵コメやメッセージにて送って頂ければ良いです。
あ、しょこたん結婚おめでとう。
同じ、『あたおか』として心からお祝い申し上げます。
『海胆(雲丹)』+【望潮】
雲丹の針大団結の不動なる/阿波野青畝

寿司の好きなネタは、『貝類』であります。
そして、【海胆】でございます。
あ~、ウニ、喰いてぇぇぇぇぇぇ(笑)。
いつ食べたのか記憶すらない遠い昔・・・。
貧乏は嫌だなぁ。

日の本の天下三大珍味と言えば江戸時代から決まっていたのデス。
「肥後のカラスミ」、「三河のクチコ」、そして、「越前のウニ」。
このウニ、縄文・弥生時代から貝と共にご先祖様にも食されていました。
遺跡からは、貝ガラと一緒に、ウニの殻も多く出土しています。
我々が旨いと食するトコロは、ウニの生殖巣であります。
この、生殖巣の発達する春から初夏の産卵期が最も美味なのです。
ウニの旬は春、ゆえに、春の季語となっている次第。

生海胆が咽喉にとろりと春ふかし/草間時彦
海胆の殻踏む探訪の海女部落/佐野まもる
朝市の触れれば動く海胆の棘/三輪洋子
海胆割りて竜宮の門あらはれし/鈴木勢津子
陸にても歩みは同じ海胆を食ぶ/小栗釣月

さて。
突然ですが・・・。
この漢字。
なんと。
読みますか?
【望潮】
招かざる波にさらはれ望潮/片山由美子
正解は。
潮招。
しおまねきデス。
春の季語。

干潮時に体長2cmほどの雄が片方の大きいハサミにて。
「おいでおいで」するような仕草が、名の由来であります。

汐まねき呪文の踊りくりひろげ/野見山朱鳥
望潮月を呼ばふと後ずさる/中村千絵
望潮一匹が出てワーツと出る/山田六甲
潮まねきドンキホーテのやうに駆く/大串章
いつせいに夕日に向きて潮まねき/岡和絵
望潮空が眩しいのだろうか/小栗釣月

有明の花形役者望潮/小栗釣月

日本一の見得を切ります(笑)。
『鰆』+【桜鯛】
出世する途次の切り身の鰆買ふ/布川直幸
鰆は、出世魚で、サゴシ、 ヤナギサワラ、サワラと名が変わる。
狭腹とも書きます。
え~、某日、先輩のトコで、久しぶりに鰆の和風ムニエルをご馳走になりましたぁぁぁ。
白身魚にはバター醬油が合いますなぁ~、そして、パァ~リパリ食感。
先輩の奥様は、フレンチがお得意でございますぅぅぅ・・・C'était très bon ♬

新鮮であれば刺身ですね。
刺身の王様との異名もあります。
それと、寿司ね~、ただ寄生虫がやっかい。
また、鰆は鮮度が落ちやすい。
そうなると独特の臭いも気になります。
なので、普通は、味噌焼だよネ。

鰆なる西京漬の旨さかな/仁平則子
味噌味の鰆は妣のバーベキュー/木村稔
鰆焼く味噌の焦げ目や吟醸酒/長谷川はまゆう
鰆東風なんて季語もあるのですよ。
庶民に愛されている魚ですネ。
え~、鰆は、春を告げる魚。
なので、春の季語です。
なぜ春なのか?それは古に京都が日本の中心であった時代。
春、瀬戸内海の鰆が京都や大坂など関西にたくさん運ばれたからであります。
鰆来て瀬戸の内海をどりけり/渡部磐空
関東では、鰆の旬はと言うと、秋から冬、いわゆる、『寒鰆』ですね。
私の地元でも鰆は秋の漁ですね。

大昔は、この時期に瀬戸内海に溢れたようですね。
鰆漁の舟。
なので鰆船としても詠みます。

白日のなかへ入りゆく鰆船/友岡子郷
日を返す海坂目指す鰆船/泉田秋硯
帆を白く明石大門の鰆舟/山田六甲
くにうみの島より出でて鰆舟/大久保白村
海賊の子孫の手繰る鰆舟/小栗釣月

もちろん、春の季語、桜鯛。
春雷や暗き廚の桜鯛/水原秋桜子
櫻鯛を捌く鱗や万華鏡/延広禎一

私の地元の離島粟島周辺では五月の連休アタリが最盛期ですね。

やはり、鯛は旨い、王様デス。
刺身、焼く、煮る、シャブシャブ、なんでも旨い。




桜の咲く頃、真鯛は産卵のため内海に集まります。
産卵期の雄の腹は桜色に染まり、また、桜の花時と重なるので桜鯛と言います。
花見鯛とも言われ、とても美味しそうな季語でありますネ。

桜鯛すこし笑つて見えにけり/早乙女健
分銅を跳ねさせて売る桜鯛/山田美恵子
うちうちの祝ひに跳ねて桜鯛/井上比呂夫
満開の海より寄する桜鯛/柳川晋
我が骨を贄とする海桜鯛/小栗釣月

私は、いつかは、桜鯛の海に散骨されるのですヨ。
二十年以上も前の話ですが・・・。
姉貴の娘の挙式の時に桜鯛を二匹私が用意しました。

地元の漁港に仲間がいて・・・。
『じゃ、俺が特別、糶(競り)に出て安くしてやるよ』と。
半信半疑でしたが、旬とは言え、30センチ越えの桜鯛二匹で・・・。
四千円、笑っちゃいました。