8/31・本日・『野菜の日』+【蔓茘枝】
野菜の日[8(や)・3(さ)・1(い)]のゴロ合わせです。
いやぁ~、野菜、超高い。
水不足の影響か滅茶苦茶高いです。
毎年、夏から秋は胡瓜や茄子を一人では食べれないほど頂くのですがね。
今年は、ZEROでございますよ~、こんな年は初めてだぁぁぁぁ。
え~、統計の種類にもよるのですが、
嫌いな野菜の一位は、「パクチー」らしい。
二位、セロリ、三位、グリンピース、四位、ゴーヤ、五位、茗荷。
わかるぅぅぅぅ、特に一位は駄目、絶対無理。
個人的に二位のセロリと五位の茗荷は大好き。
昔は、嫌いな野菜ってサ、人参・ピーマン・椎茸が定番でしたよね。
ま、どうでもいいけど(笑)。
で、秋の季語となっています、ゴーヤ。
最近はグリーンカーテンとしても人気ですよね。

ゴーヤー、俳句では、蔓茘枝(つるれいし)or茘枝として詠む事が多いです。
別名、苦瓜。
今もつて島津はかたき蔓茘枝/布施伊夜子

沖縄の壺より茘枝もろく裂け/長谷川かな女
禁断の茘枝たわわに捕虜の島/田中信克
苦瓜といふ悶々のうすみどり/坂巻純子
薄く切る苦瓜の香や海遠し/水野真由美
苦瓜や胡瓜も昔苦かりし/小栗釣月

ゴーヤーチャンプルー。
私はちょっと苦手ですぅぅぅ。

友人たちはみんな大好きですけどネ。
山菜の苦いのは良いのですがね~。
あ、辛いのも今もって駄目ですぅぅぅl。
カレーも麻婆豆腐も甘口なのよね~(笑)。
やっぱ、舌がお子様なんです。
じゃんじゃん。
暑かった八月も終わりますが、九月も暑いんですよね。
八月、最悪の想い出は夏休みの宿題。
最後の三日間が勝負でした(笑)。
明日できる事は、今日するなっ(笑)。
地獄の三日で宿題と自由研究と絵日記を仕上げるのですよ、わっはっはっ(笑)。
絵日記を家族総出の八月尽/小栗釣月
学生時代、恋の終わりも夏休みとともに・・・。
さようなら渚の恋よ八月尽/小栗釣月
九月、何時頃涼しくなるんだろうか(涙)。
あ、今夜の満月は凄いぞぅぅぅぅ。
楽しみ、楽しみ♬
令和五年(2023年)八月【俳句愛好会・幹】今月の句、落掌致しました。
さて、今月の俳句愛好会『幹』の兼題は、『天の川』でした。

他、夏と秋の季語で自由題。
投稿いただいた会員の皆さんへの添削&アドバイスは随時。
会報は九月十二日頃まで送付します。
尚、次回の兼題は、秋の季語、『芒(すすき)』とします。

芒、説明は不要ですね。
漢字では、薄とも書きます。
傍題は、芒原、芒野、穂芒、花芒、山芒、庭芒、川芒、夕芒、芒道、など。
月とセットで詠むケースも多いです。

しかし、気を付けましょう、【月】は、ご存知の通り、秋の季語です。
月を入れるならば、背景となるように心掛けなくてはいけませんね。

では、例句。

この道の富士になり行く芒かな/河東碧梧桐
下五に、芒かな、とありますが、これは富士の裾野の芒原を詠んだモノです。
同行したのは高浜虚子、彼の日記には、明治三十四年「七月十七日、河東碧梧桐等と富士山に登る」とあります。
明治三十四年と言えば、子規くの亡なる前年ですなぁ~。
虚子も碧梧桐も二十代でした。
富士になり行く、という表現は、当時かなり独創性で高く評価された作品です。
秋の気配に満ち溢れていますね。
貌(かお・顔)が棲む芒の中の捨て鏡/中村苑子
芒原は不穏である。
そう言う句は非常に多いのだが、この句が一番怖い。
恐い俳句選手権TOP10に確実に入る句ですね~(笑)。
鏡=女性特有の性と言いますか、情念と言いますか、業と言いますか・・・。
また、鏡は魂の依代とも・・・。
どのような経緯で鏡が芒原にあるのだろうか。
あれこれ想像すると怖さも倍増なのです。
帯干せばすゝきの方(かた)に吹かれたり/細見綾子
華やかな女の帯と地味な色無き芒。
艶のある帯に揺れる芒がさらに帯の色を生かした。
帯はそれを知っていて芒に靡いたのです。
うふふふ すすき一本プレゼント/多田道草(道太郎)
あの余白句会のメンバーであり、その当時の俳号は人間ファックス、やるなぁ(笑)。
『あ そうかそういうことか鰯雲』この句が特に有名。
「新句歌歳時記」と言うコラムを書いていた人で、フランス文学者であり評論家でもありました。
不思議な可笑しさのある一句。
口寄せを盗み聴くときすすき揺れ/井口時男
口寄せとあるから、イタコ・・・霊場恐山なのでしょうね。
恐山と芒、最高の組み合わせでは(笑)。
作者は誰かに同行したのか?
そして隣にでもいて、ついつい聞いちゃった?
その内容が怖かったか・・・不穏に芒が秋風に揺れて、その臨場感と劇的効果は抜群だ。
でも、口寄せのトコには芒など無いはず・・・太鼓橋がかかる三途川周辺にはあったかな?
幻の芒かもしれない。
いくたびも子を見失ふ芒原/小島良子
これも超不穏。
恐いなぁ。
子を見失う不安。
このまま神隠しにでもあったら・・・。
では、何故、芒原にいるのか?
何かの比喩か、夢、幻。
とにかくビビリますね(笑)。
花芒川がひとつになるところ/西山美枝子
都会で芒を見る事はあまりなかった。
ある程度の敷地が無いと芒は生えないし、荻と勘違いしている人も多い。
支流が集まる大きな中州ではないか?
川の流れと爽やかな風が心地よい一句。
野の佛日がな芒にくすぐられ/竹内方乃
野仏、野にたたずむ仏像、お地蔵様が多いかも。
また、田の神様もお仲間で、形は様々です。
江戸期に定着したとあるが、それ以前のモノではないだろうか。
例えば、神仏習合・・・空海の頃ではと・・・。
ほとけ、はっとけ・・・相手は芒と爽やかな秋風のみ。
この下は珊瑚の化石花芒/前田美恵子
大きな句だ。
まだ人類のいない時代。
ここは海だったんだよなぁ~と、言う事。
そして、海の中で揺れる珊瑚の代わりに、今は、芒が揺れている。
地球の不思議。

他、秋の季語で自由題。
締切は、九月二十八日です。
会員以外の方の投稿も大歓迎。
鍵コメやメッセージにて送って頂ければ良いです。
落穂。
落穂拾ふ昔安保の闘士なり/竪山道助
「落穂拾い」と言えば、ジャン=フランソワ・ミレーの有名なこの絵画。

落穂(おちぼ)とは、稲刈りの後落ち散った稲の穂の事。
貧者や手伝い人に落穂を与える風習が日本各地にあったのです。
また、米と麦との違いはあれど西洋にも・・・。
旧約聖書(レビ記)にも貧しいモノ達に残せとの記載があり、上記の絵画、「落穂拾い」のテーマであります。
ゆえに、この作品は、長閑な田園風景などでは無いのであります。
詩歌句や絵画などの本意を知ることが、作品を観賞するために一番大切な事ではないかと・・・。
「落穂拾い」はミレー以外でも多くの画家が描いています。
・ウジェーヌ・ビュルナン

・アントン・ロマコ

・レオン・オーギュスタン・レルミット

では、秋の季語。
落穂にて。

乞食(こつじき)の袋に見ゆる落穂かな/正岡子規
一抹の海見ゆ落穂拾ひかな/石田波郷
はやばやと鴉の落穂拾ひかな/早崎泰江

逃げ出したインコも混ざり落穂食ぶ/大日向幸江
授業とて落穂拾ひし我が戦後/山口弘子
妹を背にし落穂を拾ふかな/小栗釣月

夕鐘や落穂啄む村雀/小栗釣月

三十一日は、この八月の二度目の満月かぁ。
暑くて、秋の月のイメージZEROっす(笑)。
八月二十八日~七十二候・その四十一[天地始粛]
いったいいつまで残暑が続くのか・・・たまりませんね~。
こんだけ雨が降らない年も珍しい。
我が県の農家の皆さんも悲鳴を上げている。

特に南エリアの水不足は深刻で、消雪用の地下水を利用しなくてはならないほどに・・・。
二十四節気・処暑・次候、天地始粛(てんちはじめてさむし)。
[粛]さむし、と、読ませていますが、本来は、「しゅくす」・「しじむ」などと読むのが正しい。
力が弱まる、衰えると言う意味、天地の暑さが鎮まると言う意味で良いでしょう。

なのに・・・鎮まるどころか益々盛ん(涙)。
と、言う事で、不本意ながら、秋暑し、にて。

無用のことせぬ妻をりて秋暑し/星野麥丘人
泥亀の真白に乾き秋暑し/加藤武
秋暑し五叉路を跨ぐ歩道橋/比田誠子
吊革に手首まで入れ秋暑し/神蔵器
神苑の鈴の音重く秋暑し/小栗釣月

早く涼しくなって欲しいデス。

駅前の神説く人や秋暑し/小栗釣月

新涼を感じれるのはいつかしら(涙)。