6/6・本日・『飯島晴子』の命日。
この句の如く、夏を打ち止めとし、自ら死を選んだとの事。
私は生きる自由、さらに、死ぬ自由もあると思う。
享年、七十九歳。
本日、六月六日は、「鷹」の代表的な俳人、飯島晴子の命日デス。

1921年(大正10年)1月9日~2000年(平成12年)6月6日
能村登四郎の指導を受け、1960年より「馬酔木」に投句。
1964年、「鷹」創刊より同人、代表同人の藤田湘子(のち主宰)を補佐。
1966年、第1回鷹俳句賞を受賞.
1970年より現代俳句協会会員。
1997年、第六句集『儚々』(ぼうぼう)により第31回蛇笏賞を受賞。
俳句結社「鷹」は現在最も実力のアル結社ではないかと思う。
詳細はこちら→【鷹俳句会】
作者の競馬好きは有名。
「賭け事をするしないにかかわらず、人間は賭ける人と賭けない人と、男と女のように二手に分かれることは感じて居りました。
そして俳句には上手だけれどもシンキクサイ俳句があることも気になって居りました」。
「シンキクサイ俳句は、賭けない人がつくる……」。
なかなかハンサムなお話、好きなエピソードです。
人生は、ゲーム、などと言う、ヤヤ陳腐な言葉が心を過ぎる。
初蝶や屋根に子供の屯(たむろ)して
さくら鯛死人は眼鏡ふいてゆく
春の蛇座敷のなかはわらひあふ
ぼろぼろの芹摘んでくるたましひたち
むつつりと春田の畦に倒(こ)けにけり
春の蔵でからすのはんこ押してゐる
泉辺の家消えさうな子を産んで
いつも二階に肌ぬぎの祖母ゐるからは
夏鶯さうかさうかと聞いて遣る
螢の夜老い放題に老いんとす
幼子の肌着をかへる夏落葉
蝉殻の湿りを父の杖通る
さつきから夕立の端にゐるらしき
これ着ると梟が啼くめくら縞
きつねのかみそり一人前と思ふなよ
一枚は綿の片寄る干布団
十薬の芯高くわが荒野なり
孔子一行衣服で赭(あか)い梨を拭き
鴨のこる池が真中競馬場
旅客機閉す秋風のアラブ服が最後
しかるべく煮えて独りの牡丹鍋
寒晴やあはれ舞妓の背の高き
冬の帯あまたの鳥の棲み合はせ
金屏風何んとすばやくたたむこと
鯛焼の頭は君にわれは尾を
藤若葉死人の帰る部屋を掃く
天網は冬の菫の匂かな
凍蝶を過ちのごと瓶に飼ふ
女正月眉間に鳥の影落つる
一月の畳ひかりて鯉衰ふ
「実情実景」と言う言葉が浮かぶ。
う~ん、と思い、え?何っと感じ、ドッキっとします。
季語の扱いも独特でありますネ。
学ぶ事、多しっ。
コメントの投稿
恐縮デス。
飯島女史の所属していた、俳句結社「鷹」は、今一番実力のアル結社ではないかと思います。
彼女は自死する直前まで第一線で活動をされていたようです。
が、「もう、体がね~」が口癖のようであったとの事・・・。
終活、難しいテーマですね、そしてその時は誰かに託さなくてはいけません。
私は弟がやってくれます、なにもしてくれなかった父でありましたが、弟を残してくれた事には、感謝しています。
こちらこそ、ありがとうございました。
感慨深い今日のブログ
今回の更新。とても感慨深い、まるで人生哲学のような内容でした。
私は、まったく俳句の世界のことを、知りませんが、
それでも、そのような方がいらしたことは、とても、感慨深いものがございます。
生きる自由、どのような死を迎えるかの自由。
特に、父の末期医療に付き添った時、そのように感じました。
終活にむけて、日々、後悔しないよう送っておりますが、
今回、ご紹介してくださったこと、感謝申しあげます。ありがとうございます。