芭蕉・解説Ⅰ。
芭蕉が詠んだ松島の俳句。
【島々や千々に砕きて夏の海】
ただ、奥の細道として、芭蕉は松島の句は一つも残していません。
「蕉翁全伝附録」にこの句を残しています。
では、
なぜ松島の句を「おくのほそ道」で示さなかったか?
その訳を、弟子の服部土芳が「三冊子」で以下のように書いています。
師のいはく、『絶景にむかふ時は、うばはれて不叶』
日本三景に心を奪われ、感動の余り思うように句が作れなかった・・・、
と、言う意味になるますかね(笑)
中国の景色に勝るとも劣らないとの記載もあり、
中国をかなり意識して、当時の中国のインテリ層の姿勢、
「景にあうては唖す」
絶景の前では黙して語らず
と、意識的に句を示さなかったとも思われます。
他の理由としては、
芭蕉が自分の文章により、
松島の素晴らしさ書けたので満足してしまった?
わざと、松島では句を作れないと言うことを示し、
書き示さない事で、その絶景の素晴らしさを際立たせた。
「秘すれば花」なりと、言う事かも知れません。
蛇足。
「松島や ああ松島や 松島や」
この句には原型があって、
「松嶋や さてまつしまや 松嶋や」
江戸時代後期の狂歌師・田原坊の作です。
これの、さて、が、ああ、と、変化した様です。
2
蚤虱馬の尿する枕もと/封人の家
眉はきを俤にして紅粉の花/尾花沢
閑さや岩にしみ入蝉の聲/山寺
五月雨をあつめて早し最上川/大石田(高野一栄宅・連歌の発句)
水の奥氷室たずぬる柳かな/新庄(澁谷甚兵衛宅)
ありがたや雪をかをらす南谷/鶴岡(羽黒山南谷別院)
涼しさやほの三ヶ月の羽黒山/尾花沢(鈴木清風宅)
語られぬ湯殿にぬらす袂かな/湯殿山
雲の峰いくつ崩れて月の山/月山(角兵衛小屋)
珍らしや山を出羽の初茄子/羽黒山を下山後の民田なす
暑き日を海に入れたり最上川/酒田(安種亭寺島彦助宅・句会)
温海山や吹浦かけて夕涼み/酒田(最上川河口の袖の浦で舟遊びの吟)
象潟や雨に西施がねぶの花/秋田・象潟
3
旅立ち
草の戸も 住み替はる代(よ)ぞ 雛の家
日光
あらたふと 青葉若葉の 日の光
那須
野を横に馬牽(ひき)むけよ ほととぎす
平泉
夏草や 兵(つはもの)どもが 夢のあと
五月雨の 降り残してや 光堂
山形 立石寺
閑さや岩にしみ入る蝉の声
新庄
五月雨を あつめて早し 最上川
月山
雲の峰いくつ崩れて月の山
象潟
象潟や 雨に西施が ねぶの花
越後 出雲崎
荒海や 佐渡によこたふ 天の河
市振の関
○ 一家(ひとつや)に 遊女もねたり 萩と月
金沢
あかあかと 日は難面(つれなく)も 秋の風
小松
○ むざんやな 甲(かぶと)の下の きりぎりす
大垣
蛤(はまぐり)の ふたみにわかれ行く 秋ぞ
4
蚤虱馬の尿する枕もと
この地域では馬屋は住居の中にあった。してみれば蚊も虱も蚤も一緒に住んでいたに違いない。馬が放尿するのはいたく当然のことだから、その猛烈な音に目が覚めることも至極尤もなこと。ただし、そのことが「枕もと」で起こったように言うのは文芸的誇張に相違ない。実際は有路家は立派なつくりであったし、旅人の格によって部屋を割りふったとはいうものの江戸の大詩人を迎えてよもや馬小屋の隣に寝かしたとは思えない。リラックスした名品。
尾花沢にて清風*と云者を尋ぬ。かれは富るものなれども志いやしからず*。都にも折々かよひて、さすがに旅の情をも知たれば、日比とヾめて、長途のいたはり、さまざまにもてなし侍る*。
涼しさを我宿にしてねまる也
風宅での手厚いもてなしへの感謝の句。「ねまる」は山形方言で、自分の家にいるような気のおけない寛ぎ方をいう。羽前赤倉の山中を越えてほっとした気分もこめた句。
這ひ出よ飼屋が下の蟾の声
飼屋は養蚕小屋のこと。その蚕室の床下に大きなひき蛙がいる。これが野太い声で鳴いている。古来、ひき蛙の鳴く声は人を恋する情景描写に使われた。
眉掃を俤にして紅粉の花
尾花沢は紅花の特産地。紅の顔料は都に出て京紅となって女性の心を楽しませてくれる。この家の主人清風はその紅花の流通を生業としていた。
清風:鈴木道祐。尾花沢(この時代には「おばねざわ」と呼称していた)の豪商。紅花の流通業や貸し金業で財を成した。島田屋八右衛門とも称する。芭蕉とは旧知の間柄。しばしば江戸と出羽とを往復していて世間の事情に精通していた。芭蕉の評価の高かった門人の一人。 この時39歳。
蚕飼する人は古代のすがた哉:養蚕に励む農民の姿は実に質素簡素で、古代の農民の姿が偲ばれることだ。
5月17日に昼過ぎに山形県尾花沢市鈴木清風宅に着いて一泊。
5月18日は、小雨が降る。弘誓山養泉寺(写真)に移り、ここの風呂に昼間から入る。随分寛いだのであろう。
5月19日。朝は晴れるが夕方小雨に変わる。
5月20日。小雨。
5月21日。朝は、東水宅へ招かれ、夜は沼沢所左衛門宅に招待される。清風宅宿泊。
5月22日。俳人素英(村川伊左衛門)宅に招待される。
5月23日。夜、歌調(歌川仁左衛門)宅に招待される。清風宅に宿泊。
5月24日。大石田 一栄、高野平右衛門宅で歌仙。夜、一橋(田中藤十良)が寺でもてなしてくれる。
5月25日。時々小雨。昼、俳諧の予定洪水騒ぎで中止。夜、仁左衛門宅より、「庚申待」(庚申<かのえさる>の夜には朝まで夜遊びをする風習があった)に招待される。
5月26日。昼より遊川(沼沢所左衛門)宅に招かれる。小雨が降る。
5月27日。天気良好。朝9時尾花沢を出発して立石寺へ向かう。
高野平右衛門宅で歌仙/連歌
大石田、高野平右衞門亭ニテ・最上川岸
五月雨を集て凉し最上川 翁 発句
岸にほたるつなぐ舟杭 一榮 脇句
爪畠いざよふ空に影待て ソラ 第三
里をむかひに桑の細道 川水 平句
しの子に心慰む夕間暮 一榮
水雲重しふところの吟 翁
5
歌仙「すゞしさを」の巻
すゞしさを我がやどにしてねまる也・芭蕉
つねのかやりに草の葉を燒・清風
鹿子立つをのへの清水田にかけて・曽良
ゆふづきまるし二の丸の跡・素英
楢紅葉人かげみえぬ笙のおと・清風
鵙のつれくるいろいろの鳥・風流
ふりにける石にむすびしみしめ縄・素英
山はこがれて石に血をぬる・芭蕉
わづかなる世をや継母に偽られ・風流
秋田酒田の波まくらうき・曽良
うまとむる関の小家もあわれ也・芭蕉
桑くうむしの雷に恐づ・清風
なつ痩に美人の形おとろひて・曽良
霊まつる日は誓はづかし・素英
入月や申酉のかたおくもなく・清風
鴈をはなちてやぶる艸の戸・芭蕉
ほし鮎の蓋ては寒く花ちりて・素英
去年のはたけに牛房芽を出す・曽良
蛙寝てこてふに夢をかりぬらん・芭蕉
ほぐししるべに國の名をきく・清風
あふぎにはやさしき連歌一両句・曽良
ぬしうたれては香を残す松・素英
はるゝ日は石の井なでる天をとめ・清風
えんなる窓に法華よむ聲・芭蕉
勅に來て六位なみだにたたずみし・素英
わかれをせむる炬のかず・曽良
一さしは射向の袖をひるがへす・芭蕉
かはきつかれてみたらしの水・清風
夕月夜宿とり貝も吹よはり・曽良
とくさかる男や簔わすれけん・素英
たまさかに五殻のまじる秋の露・清風
かがりに明ける金山の神・芭蕉
行人の子をなす石に沓ぬれて・素英
ものかきながす川上の家・曽良
追うも憂し花すふ蟲の春ばかり・清風
夜のあらしに巣をふせく鳥・素英