10/11・本日・『種田山頭火』忌日・【一草忌】
まっすぐな道でさみしい
アメリカで一番有名な俳人は、たぶん、この男だ。

1882年(明治15年)12月3日~1940年(昭和15年)10月11日
戦前日本の自由律俳人。
山頭火と呼ばれる事が多い。
「層雲」の荻原井泉水門下?。
生涯で八万句以上を創作したと言われています。
有名な句は、
「分け入っても分け入っても青い山」
「鴉啼いてわたしも一人」
「ほろほろ酔うて木の葉ふる」
「うしろすがたのしぐれてゆくか」
「死ねない手がふる鈴をふる」
「てふてふうらうら天へ昇るか」
「鉄鉢の中へも霰」
1925年に曹洞宗報恩寺(熊本市)で出家得度して耕畝(こうほ)と改名。
自由律俳句・・・・、私には無理、深過ぎる。
また、同性代の自由律俳人、住宅顕信の句集には戦慄した。
この、自由律俳句は、人によっては大きく評価が分かれます。
で、俳句として認めないと言う俳人もいて、まぁ、それは仕方がない。
結局、好きか嫌いか、それだけの事なのですから・・・。
山頭火は、酒に溺れ、自堕し、妻子を捨て、自ら選んだ放浪の果てに、晩年は破れ僧衣をまといしまま逝った孤独の人デス。
しかし、僧衣、一笠一杖(いちりゅういちじょう)の山頭火を、清廉な漂白俳人だと思ってはいけないのデスよ。

はなから、仏に帰依し、脱俗して悟ろうなどとは思っていないはずデス。
なぜなら山頭火の日記には食べる事と他の欲望のコトしか書かれていないからデス。
さらに、完全な酒乱デス、山頭火は酒をガソリンと呼んでいた、出家前はあまりの酷さに友人がみんな離れていった。
出家の原因も酒のトラブルで警察に逮捕されて連行先の寺男に仕方なくなっちゃったと言う感じがする(笑)。
よぅ~スルに世間から逃げたのだっ、出家は方便であったのだろう、そして、己の煩悩を欲を詠んだのだっ。
だ・か・ら・超リアルなんですヨ、胸にググッと来るのですよ、本音なんですよ。
そして、誰もが、山頭火になる可能性がアルんです、それこそが、真理デス。
でで、山頭火曰く、酒の飲み方が酷過ぎる・・・(笑)。
『一合ほろり、二合ほろほろ、五合とろとろ、一升どろどろ』なのだそうだっ。
どちら見ても山頭火が歩いた山の秋の雲/荻原井泉水
興味のアル人は本がたくさん出ています。
ではでは。