1/18・本日・[服部土芳/はっとりとほう]の命日。
棹鹿のかさなり臥る枯野かな
月添ひてかなしさこほる萩すすき
梅が香や砂利敷流す谷の奥
土芳の庵を訪ねた芭蕉の句、
「みのむしの音を聞にこよ草の庵」
から、蓑虫庵と呼ばれた。

明暦3年(1657年) ~享保15年1月18日(1730年)
享年74歳。
松尾芭蕉に師事、芭蕉の同郷の後輩で蕉門十哲の一人。
師、芭蕉の晩年の俳論を整理した『三冊子/さんぞうし』(赤ぞうし、白ぞうし、忘れ水)は、
松尾芭蕉の俳論を現在に伝える超一級の歴史的資料として極めて高い評価を得ています。
では、土芳の句を・・・。
おもしろう松笠もえよ薄月夜
この比のおもはるゝ哉稲の秋
梅が香や砂利しき流す谷の奥
かげろふやほろほろ落る岸の砂
荷鞍ふむ春のすゞめや縁の先
むめちるや糸の光の日の匂ひ
近江路やすがひに立る鹿の長
鮎の子の心すさまじ瀧の音
黑ぼこの松のそだちやわか緑
鶯に橘見する羽ぶきかな
職人の帷子きたる夕すヾみ
明ぼのや稲づま戻る雲の端
冬梅のひとつふたつや鳥の聲
漸に寐所出來ぬ年の中
植竹に河風さむし道の端
なんと、三十歳の若さで藤堂藩士引退し、以後俳諧一途の生涯を送った。
命二つの中にいきたる桜かな/松尾芭蕉
上の句は、『野ざらし紀行』の旅にあった芭蕉が、貞享二年三月。
水口宿で二十年ぶりに服部土芳と満開の桜の下で再会した時の吟であります。
土芳は心の中に一生涯この句があったことでしょうネ。
合掌。