寿永三年一月二十日・源義仲(木曾義仲)の命日。
義仲は、頼朝の命を受けた範頼と義経と争い、大津の地で討ち死にする。
あ~、巴御前のお話も良いネ~。

詳細は、『平家物語』をお読み下さい、朝日将軍(旭将軍)の名で登場。
さて、松尾芭蕉の遺言。
「骸(から)は木曽塚に送るべし」。
私の亡骸(死体)は、義仲寺(ぎちゅうじ)に埋葬して欲しい。
なぜ芭蕉は義仲寺を指定したのか?
たぶん、それは、芭蕉がホンモノの武士に憧れていた為でしょうネ。
そもそも、奥の細道は、西行への追慕(枕詞)と、兵のモノノアワレと、悲運の忠臣への哀悼の旅であっただろう。
芭蕉の本意はわからない・・・しかし、芭蕉ならば、義と情に厚い義仲を好まないはずはない。
芭蕉の終焉の地については、機会があれば詳しくお話したいデス。
義仲寺の芭蕉墓は慎ましい。


木曽殿と背中合わせの寒さかな/島崎又玄