花野。
風もまた旅人なりし花野径/中川聰子

花野は秋の季語、お花畑が夏の季語となります。
天渺々(びょうびょう)笑ひたくなりし花野かな/渡辺水巴

たまには花野にお出かけして海を見るのもいいなぁ。
秋の季語、花野は、秋の美しい花々が咲き乱れている様を言います。

でも、本来は、傍題の、花野原、花野道などの広々とした花が咲き誇る草原を言うのでしょうネ。
私の地元では海に続く花野がキレイです。

潮風に押さるるままに大花野/小栗釣月
灯台の真白を照らす花野かな/小栗釣月

夕暮れの花野抜けくる童唄/小澤克己
もう逢わぬ距(へだた)りは花野にも似て/澁谷道
夕花野魔鏡となりしコンパクト/井上菜摘子
ジェット機の次々と発つ花野かな/長谷川通子
神隠るごとく花野に母がゐる/橋本美代子
大花野ここは女神の通り道/中村和代
花野原狛犬残る開墾地/小栗釣月

透き通る声に恋する花野かな/小栗釣月

コメントの投稿
同士、戸部様、こんにちは。
> 非常に勉強になりました。また、以前から「秋薔薇」と
> いう季語には他の秋の花々とは異質な感じを受けて
> いたのですが、これも納得致しました。
はい。
さぶちゃん大魔王さん、年の功ですよね。
そしてなかなかの読書家で知識人です。
私も勉強になります、ありがたいです。
「秋薔薇」の異質さは園芸ゆえと、薔薇はそもそも樹木ですよね。
あ、奇麗だからそれはそれで良いですが…。
> あと、最近知ったのですが、晩夏の季語で「お花畑」とか
> いう高原の花のみを指す不思議な季語があるとの由で
> タイミングあればいつかこれについてもレクチャー頂けれ
> ばWW。(当ブログで以前に言及済の場合はお許し下さい。)
あははは。
はい、お花畑ですね。
レクチャーとは、オコガマシクテ恐縮ですが、鬼が笑う来年の晩夏まで、勉強しておきますネ。
花野、勉強になりました
さぶちゃん大魔王さんとの「花野」についての考察、
非常に勉強になりました。また、以前から「秋薔薇」と
いう季語には他の秋の花々とは異質な感じを受けて
いたのですが、これも納得致しました。
あと、最近知ったのですが、晩夏の季語で「お花畑」とか
いう高原の花のみを指す不思議な季語があるとの由で
タイミングあればいつかこれについてもレクチャー頂けれ
ばWW。(当ブログで以前に言及済の場合はお許し下さい。)
さぶちゃん大魔王様、こんばんわ。
はい、想像するに、さぶちゃんの言い得て妙。
地味ゆえに集合体としてデフォルメする必要があったんでは、と。
「枯れ木も山のにぎわい」とまでは言いませんが、たくさんあればOK的な事ではないでしょうか。
> いつも思うのですが、盆栽を作るときの小天地、野生蘭を愛でるときの熱帯の蘭とは異なる、ウチョウ蘭・富貴欄・岩千鳥・鷺草・寒蘭などの小さな花。秋の野を埋める花にしても竜胆・松虫草・升麻などの寂しげな花ばかり。にも拘わらず、いつもの往古より秋の野を愛でてこれたその心。絶対に、バラの園を作る民には、秋の大倭の風情、理解できっこねえぜ、と言ってしまうと、国際協調に反しますが、金子みすゞさんに従って、みんな違って、みんないい、と収めて、花野、探して詠んでみます。
古は現代よりも小さきものを愛したのでしょう。
いわゆる、秋の、モノノアワレも含みながらでしょうけどもネ。
芭蕉曰く、古人の跡を求めず、古人の求めしところを求めよ。
花野を詠んだ個人の歌を真似せず、今に当て嵌めず、その時代の気持ちを汲み取り、今の理想を求めなさい。
って、トコでしょうかね。
これ、どうも、もともとは、弘法大師の著、『性霊集』の一文らしいですが…。
「古跡ニ似ルヲ以テ巧ト為サズ」
薔薇園の民、貴族の庭とは、花野は対局ですね、同感です。
花野の一句、楽しみにしています。
オグリン先生へ
いつも思うのですが、盆栽を作るときの小天地、野生蘭を愛でるときの熱帯の蘭とは異なる、ウチョウ蘭・富貴欄・岩千鳥・鷺草・寒蘭などの小さな花。秋の野を埋める花にしても竜胆・松虫草・升麻などの寂しげな花ばかり。にも拘わらず、いつもの往古より秋の野を愛でてこれたその心。絶対に、バラの園を作る民には、秋の大倭の風情、理解できっこねえぜ、と言ってしまうと、国際協調に反しますが、金子みすゞさんに従って、みんな違って、みんないい、と収めて、花野、探して詠んでみます。