2021/09/30【俳句愛好会・幹】今月の句、落掌致しました。
連衆の皆さんは如何お過ごしですか?
しばらくお休みしていたLIVE。
十月は既に二つのオファーがあり藝術の秋に間に合いそうです(笑)。
あ~、三回目のワクチン接種、面倒ですね~。
いつになったらと、憂鬱です。
さて、今月の俳句愛好会[幹]の兼題は、【天高し】でした、他、夏と秋の自由題。

投稿いただいた会員の皆さんへの、添削&アドバイスは随時。
会報は十月十二日ごろまで送付します。
で、次回の兼題は、秋の代表的な季語、『露』です。

『露』、季語としては、花や葉に浮かぶ、水滴、水玉、雫を言います。
もちろん、自然ではない人工物にもあるワケですネ。
急に冷え込む秋の朝夕に多く見られることから秋の季語となっています。
氷結すれば霜になり冬の季語となります。
直ぐ流れ落ち、また、陽の光で消えてしまうので、露は古より儚いモノの象徴でもあります。
古今、歌にも多く詠まれています。
秋の夜の露をば露と置きながら雁の涙や野辺を染むらむ/壬生忠岑
露と置き(落ち)露と消えにしわが身かな浪速のことも夢のまた夢/豊臣秀吉・辞世
松の葉の葉毎に結ぶ白露の置きてはこぼれこぼれては置く/正岡子規
上記の和歌のように、詩的には、露は、置く、もしくは、結ぶが正しいでしょう。
また、永訣の場面にも露は度々登場します。
露の世は露の世ながらさりながら/小林一茶・長女サト(二歳)の死を悼み…。
露、傍題。
白露、朝露、夕露、夜露、初露、露時雨、上露、下露、露の玉、露葎、露の秋、露の宿、露の袖、袖の露、芋の露、露の世、露の身、露の命、露けし、露原、露の底、などなど。
傍題が多過ぎるのがヤヤ問題ですが、場所、時間を絞って詠んでみましょう。
他、実景としての露と、心の在り方の露と分かれます。
初心者は実景を、ベテランは心の主観も重ねて詠んでみましょう。
では、例句です。

芋の露連山影を正しうす/飯田蛇笏
作者の代表作。
俳句で、芋と言えば、里芋限定です。
小さい目前の里芋の葉に置かれた朝露。
大きい遠方の山が連なる大自然の畏怖。
大小、遠近の見事さ。
「連山影を正しうす」、この擬人法の特異観。
整然と威儀を正してみせたのです、己も山も。
作者本人曰く、
『南アルプス連峰が、爽涼たる大気のなかに、きびしく礼容をととのえていた。
身辺の植物は、決して芋のみではなかったのである。』
秋の早朝の自然をひっくるめて詠んだことになるのか?
解釈は人それぞれです。
露草も露のちからの花ひらく/飯田龍太
蛇笏の四男で、父のあとを継ぎ、俳誌【雲母】の主宰となる。
日本の戦後の俳壇を最前線で牽引し、作風は、高潔にして格調高く叙情的。
自らの強い意志で、【雲母】を900号をもって終刊(1992年)。
さらに、終刊以後、句作をせず、俳壇から自然と退いた…潔し。
龍太曰く、「紺という色は、すべて朝がいい」…らしい。
季語が重なってもこれだけ自然に一句を紡ぐのです。
露×露。
この露は間違いなく朝露ですね。
露草は早朝に咲いて午後には萎んでしまいますからネ。
初秋の朝の美しさを詠んだ名句です。

蔓踏んで一山の露動きけり/原石鼎
一山=いっさん、と読む。
其角と並ぶほどの大袈裟ぶりである(笑)。
下五の切字、けり、スピード感を出しています。
山道にはみ出た葛の蔓か。
二十年も前、ギターも俳句もしていない時期、唯一の趣味が山菜採りだった。
ゆえに、実景としてワカルのです。
初秋の昼の奥山は静かです、蔓を踏む音さえも響きます。
土の匂いと蔓に足がめり込んだ時の感触…そして、その瞬間の驚き…。
蔓を絡ませた足のセイで、蔓の巻かれた樹も、林も、森も、山全体も、すべて動き、一山の露が呼応して溢れた。
作者はそのように感じたワケですね、スーパーデフォルメと言ってヨイでしょう、足一本で山が動いたのですからネ。
たった十七文字で山も動くのです。
道元の、『正法眼蔵』、山水経巻。
有名な「青山常運歩」を思い出しました。
ネオン赤き露の扉にふれにけり/木下夕爾
作者は詩人でもある。
旅先の田舎の小さな色街だろうか?
真夜中、ネオン(死語だろう)が灯った一軒の飲み屋があった。
このネオン、単色の赤なのだ、殺風景この上ない、しかし、昔はそうだった。
作者は入ろうと扉に触れた時に、露を感じたのです。
あ、冷たい、濡れている、と、鋭敏な指先で感じたのです。
寂しさが、侘しさとなった瞬間です。
上五、ネオン赤き、の六文字で既に、叙情的で淫靡に、作者の心は揺れています。
ネオン赤き/で切るか、ネオン赤き露の、で小休止か。
読み手によって大きく変わる句ですね。
病む母のひらがなことば露の音/成田千空
高校時代の寺山修司に俳句を指導したのは有名。
農業を営みながら故郷青森で創作を続けた。
有名な俳誌、「萬緑」の選者も務めた。
この句には、母の死と、詞書がある。
平仮名言葉が漢字でないのが悲しみを深める。
想像だが都会を知らぬ田舎の女性だったのでは。
青森の訛り、洒落っ気のない、そんな母の最期に立ちあえた。
露の音、とは、母がいまわの際に漏らした最後の溜息なのか?
骨壷を抱きしこと二度露の山/矢島渚男
露の山に墓地が、いや、作者の実家があるのだろうか。
作者の故郷は長野の丸子温泉郷近郊、自然は豊かである。
二度とは、両親の事か。
この露は、季語としての露と、作者の別れの涙としての露の、両方ではないのか?
そして、朝、夕、夜に、露のように心に置かれる亡き人の想い出の数ではないのか。
私も二度、骨壺を抱いた。
軽くて自然に涙が溢れた。
櫻の季節でした、合掌。

他、秋の季語で自由題デス、締切は、十月三十日です。