旧暦・建保七年一月二十七日・實朝(さねとも)忌。

建久3年8月9日(1192年)~建保7年1月27日(1219年)
源実朝は、鶴岡八幡宮で甥の公暁(くぎょう)に暗殺されます。
鎌倉幕府三代将軍と言うよりは、歌人としてあまりにも有名ですよね。
師は、あの藤原定家、また、小倉百人一首では鎌倉右大臣とされています。
93番・【世の中は常にもがもな渚漕ぐあまの小舟の綱手かなしも/鎌倉右大臣】
偏屈な正岡子規が手放しでベタ褒めする唯一の歌人ですヨ。
「人丸(柿本人麻呂)の後の歌よみは誰かあらん 征夷大将軍みなもとの実朝」と言ったらしい。
さらに、松尾芭蕉が弟子に、「中頃(遠く無い昔)の歌人は誰なるや」と問われて曰く、【西行と鎌倉右大臣ならん】と言わしめた人物デス。
実朝は京に、朝廷に近づき過ぎたネ、だ・か・ら・暗殺されたんだよ。
【実朝忌】
その時も鳩は翔ちけむ実朝忌/山口青邨
枝重りして咲ける椿や実朝忌/石田波郷
実朝忌春動かむとしてためらふ/松本たかし
名をかへて流るる川や実朝忌/進藤一考
実朝忌あし跡のみの百千鳥/小檜山繁子
大挙して実朝の忌の沖つ波/高澤良一
雪となる雨を見てをり実朝忌/角川春樹
東雲に寒月残る実朝忌/小栗釣月
今年の大河ドラマ・『鎌倉殿の13人』は、実朝までやるのかしらネ?
私は、TVが無いから見れませんが、ま、あっても見ないかもなぁ(笑)。
実朝暗殺・・・、公暁をそそのかした黒幕は北条義時、今年の大河の主人公?でしょうね。
たぶん、頼朝も暗殺された、死因が落馬ってさ、武士なんだよね。
落馬の原因も、脳卒中とか糖尿病とか諸説あり、まったく噛み合わないしさぁ。
『吾妻鏡』においてはネ、頼朝の死の前後の記事が欠落している不可解さもあるし・・・。
そもそも『吾妻鏡・東鑑』が全然信用できないワケ、だって当時の一級の歴史資料、慈円の愚管抄との相違が甚だし過ぎるよね。
まぁ、『吾妻鏡』は、北条一族の特別編集なわけだから、一族の都合の良いようになんとでも書けるしね。
その、頼朝暗殺の首謀者は、義時の父、時政ではないだろうか?
理由は、鎌倉幕府が成立したのちに頼朝がこともあろうに、自分の娘を入内させようと画策した為だろうなぁ。
頼朝は貴種ゆえの京と朝廷への思慕が当然あったはずだよね、しかしそれは、鎌倉幕府と武家制度の屋台骨を揺さぶるものだったわけデス。
時政は恐怖心で頼朝を暗殺したのではないだろうか?
さらに、頼朝の度重なる浮気(笑)。
え~、実朝に戻りますと、繰り返しますが、暗殺の黒幕は北条義時ぽいですよね。
なぜならこの時に父の時政は義時に追放され幽閉状態にあったからです。
理由は若い後妻にそそのかされてクーデターを起こしたからですわ。
ふっ、まったくエロ親父デスなぁ。
なので、このような企てができる人物は義時しかいないハズなのですが・・・。
実は、実朝暗殺の凄い説があるんです。
なんと、それですべての謎が証明されるんですよ~。
はい、オリエント急行説&オズワルド説デス(笑)。
あ、私が勝手に言ってるんですが・・・長くなるので割愛します。
え~、この話の半分は、敬愛する井沢元彦大先生の受け売りの知識でございす。
が、半分は私の勝手な思い込みですのでご容赦くださいマセ。
今からでも遅くありません。
『鎌倉殿の13人』を見ている人はこの二冊を読むと百倍楽しく見れますよ、たぶん。


井沢先生の歴史書は目から鱗の連続でして、二十代からファンでありましたが、『穢れと茶碗』は度肝を抜かれましたね。

では、最後に、実朝の歌を幾つか・・・。
萩の花くれぐれまでもありつるが月出でて見るになきがはかなさ
大海の磯もとどろに寄する波われてくだけてさけて散るかも
ながめつつ思うも悲し帰る雁行くらむ方の夕暮れの空
炭をやく人の心もあはれなりさてもこの世を過ぐる習ひは
くれなゐのちしほのまふり山の端に日の入る時の空にぞありける
在位【十五年四か月】、享年二十八歳でした。
無念の死でしたでしょうネ。
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さぶちゃん大魔王様、いいですよ~。
いいじゃないですか。
自由に詠んで良いのです。
理屈は読み手個人のモノ、どのように勘違いしようが勝手です。
なるほど、詩と歌で繫げましたか。
素晴らしい。
> 死因は違っても享年の近い、いずれも素晴らしい歌人、というだけの・・・
ですね。
お互い夭折の・・・。
> すみません鎌倉の海なら、髪も島田に由比ガ浜で、東海の海、江ノ島もあるしと、勝手に小島、申し訳ありません、イメージ先行し過ぎました・・・
いいんですよ。
どんどんイメージを先行させて下さい。
詩、歌、句、意味の取り方は読み手の千差万別。
気にする必要は全然アリマセン。
オグリン先生へ
さぶちゃん大魔王様、こんにちは。
お~、そうでしたかぁ。
それは知りませんでした。
> 井沢説、いろいろ面白いですよね、発想が史学者に毒されていなくて楽しいですよね!私は穢れと茶碗の時に、同和関連で、その他大勢としてお会いしたことが一度だけありましたが、差別以外のやり取りでも気さくに応じてくれて好感を持てた方です。ちょうど、目を悪くしたとかで眼帯を懸けていた時です。本人の視点もさることながら、細かい資料までそろえられるのですから、大きなスタッフを擁した作業なのでしょうな!
はい。
柔軟にして大胆な発想。
しかしながら十分な検証と豊富な資料。
まさに歴史ノンフィクションの金字塔ですね。
> さて、源氏政権にせよ、足利政権にせよ、まあ尊氏兄弟は置いとくとしても、源氏政権、素人からみても、神輿を担いでくれる強欲な関東奴たちを無視することが多いのですから武士団としては「てめえなんか、貴種だという価値しかねえんだぞ!」といつでも首を挿げ替えるつもりでいるの空気読めないまま過ごし過ぎですよね。
頼朝が幕府を作るまでは良かったのでしょうね。
その後が不味かった・・・。
> 資料もきれいごと書き過ぎで、軍団にそもそも結束なんて最初からなかったですし、どの在地武装農民だって、「一所懸命」だけで集団に加わっているだけですからね。エゴむき出しで参加しているのはわかっていてもお殿様だから平氏北条に丸投げに原因以外ないと思います。でもお殿様ですよねえ、
本人たちは丸投げしている気ではなかったんでしょうね。
また、能力が無いのにやる気があった・・・頼家が一番悲惨ですね。
実朝は歌人のまま一生を終えさせてやりたかったです。
> 実朝忌朋と語りて公孫樹過ぐ
> 隠れしに公孫樹語らぬ実朝忌
> 「東海の小島」悲しも実朝忌
ほぅ。
啄木ときましたか。
東海の小島。
一、何処にもない啄木が創った場所説。
二、北海道函館の大森浜説。
三、青森県大間町説。
そして、
四、逗子や鎌倉の海説。
さぶちゃん大魔王様は、四の説を支持ですね。
東海=東の海。
ただ小島がネ~、ま、そのあたりは?で良いですね。
〇「東海の小島」悲しも実朝忌
今月の句に。
同士、戸部様、こんにちは。
はい。
> 実朝忌の句は、私の場合、「鎌倉右大臣実朝の忌なりけり 尾崎迷堂」
> という字余りの長ーい句がいつの頃からか、妙に心を捉えておりますw。
有名ですね。
実朝はメジャーじゃないですからね。
> 井沢元彦先生の著書の御紹介、有難う御座います。(「穢れと茶碗」も
> 逆説シリーズも当方の書棚の書棚に鎮座しております。
> (いや、鎮座はマズいだろWW))
やはりご愛読でしたか。
故梅原猛も好きでしたがお年を召されてからヤヤ積極臭くて・・・。
> ※シナ オミクロン株、はやっています。ご自愛ください。
ありがとうございます。
その死那で、いやいや支那でOPとは片腹痛いですね。
オグリン先生へ
井沢説、いろいろ面白いですよね、発想が史学者に毒されていなくて楽しいですよね!私は穢れと茶碗の時に、同和関連で、その他大勢としてお会いしたことが一度だけありましたが、差別以外のやり取りでも気さくに応じてくれて好感を持てた方です。ちょうど、目を悪くしたとかで眼帯を懸けていた時です。本人の視点もさることながら、細かい資料までそろえられるのですから、大きなスタッフを擁した作業なのでしょうな!
さて、源氏政権にせよ、足利政権にせよ、まあ尊氏兄弟は置いとくとしても、源氏政権、素人からみても、神輿を担いでくれる強欲な関東奴たちを無視することが多いのですから武士団としては「てめえなんか、貴種だという価値しかねえんだぞ!」といつでも首を挿げ替えるつもりでいるの空気読めないまま過ごし過ぎですよね。資料もきれいごと書き過ぎで、軍団にそもそも結束なんて最初からなかったですし、どの在地武装農民だって、「一所懸命」だけで集団に加わっているだけですからね。エゴむき出しで参加しているのはわかっていてもお殿様だから平氏北条に丸投げに原因以外ないと思います。でもお殿様ですよねえ、
実朝忌朋と語りて公孫樹過ぐ
隠れしに公孫樹語らぬ実朝忌
「東海の小島」悲しも実朝忌
今日は実朝忌でしたか
今日は旧暦では実朝忌でしたかー。
実朝忌の句は、私の場合、「鎌倉右大臣実朝の忌なりけり 尾崎迷堂」
という字余りの長ーい句がいつの頃からか、妙に心を捉えておりますw。
井沢元彦先生の著書の御紹介、有難う御座います。(「穢れと茶碗」も
逆説シリーズも当方の書棚の書棚に鎮座しております。
(いや、鎮座はマズいだろWW))
※シナ オミクロン株、はやっています。ご自愛ください。