【牡丹の芽】と『遠山の金さん』
会ふ度に「明るいわね」と牡丹の芽/加藤京子
三月・・・暦の上では春。
しかし、私の地元など冬枯って感じですよ(笑)。
昨日はドンヨリ曇空。
今日は早朝から雨です。
夕方には霙になるかも、はぁ。
週末からなんとか晴れそうですわぁ~。
え~、牡丹は他の花よりも早くに芽を出すんです。
寒さに強く美しく、生命力に溢れるこの花は、枯木に花を咲かせる神話の如し。
枝々に飾られる燃えるような芽吹きは感動を隠せません。
花は初夏、待ち遠しい。
雨脚の見えず牡丹の芽に雫/橘沙希
移されてすでに一景牡丹の芽/山田弘子
針を置き自愛ひと刻牡丹の芽/岡田和子
指先の熱くなりさう牡丹の芽/環順子
牡丹の芽一途の恋の危ぶまる/木村公子
唇を初めて許す牡丹の芽/小栗釣月
突然ですが・・・(笑)。
遠山の金さんって、実在の人物なのです。
ま、私のイメージでは、このお方、花神の大村益次郎が有名かな。
中村梅之助さん。
懐かしいなぁ、大好きでした。
ちなみに、歴代の金さんは、時系列でこんなぁ~感じですね。
中村梅之助⇒市川段四郎⇒橋幸夫⇒杉良太郎⇒高橋英樹⇒松方弘樹
一番長いのは、杉良太郎さん?かしらね。
【遠山の金さんの日】は、天保十一年三月二日(1840年)に、北町奉行を拝命したことに由来します。
遠山の金さんの正式なお名前は、遠山左衛門尉景元(とおやま・さえもんのじょう・かげもと)ッス。
TVのようなお忍び?で、なんて事は当然なく・・・、ただ、刺青はしていたようです、が、諸説ありです。
桜吹雪じゃないとの説もありますすよ・・・唐獅子牡丹だったとかね(笑)。
はぁ、やっと牡丹と繋がった(笑)。
いわゆる青年期に、やや複雑な家庭事情の為にしばらく放蕩三昧をしました。
その時に刺青を入れたんですと・・・、お父さん(後に長崎奉行)も心配でしたでしょう。
景元の死後、講談、歌舞伎で現在のような物語のパターンが完成して、TVにて虚実入交大ブレークしました。
実は、金さんは、かっこ悪いことに、長年痔だったらしく、登城は馬に乗れず駕籠だったそうです。
金さんの身分では駕籠での登城は許されていなかったのですが、痔で、特例の許可を受けたとの文書が残っています。
また、天保十二年の将軍徳川家慶の「公事上聴」・・・実際の裁判上覧ですわね。
それにおいて、家慶公から裁判ぶりを激賞され、奉行の模範とまで讃えられたとの事・・・。
ま、名奉行だったのでしょう。
今の、理不尽な世の中も、どなたかに、ビシッと裁決していただきたいものですなぁ~。
ジャンジャン♪
コメントの投稿
ピーちゃんこサン、こんにちはぁぁぁ。
わたしも好きでした。
> 杉良太郎さんの「隙間風」が思い出されます。
あ~、ヒットしましたね。
人を信じてぇ~♪
歌えます(笑)。
> あの曲も良いなぁ。。。懐かしいです。
どんだけ前でしょうかね?
> 今や、時代劇は、全く見なくなりました。
そうですね。
TVでもやらないのでは?
映画でも少なくなりました。
No title
遠山の金さん大好きでした。
杉良太郎さんの「隙間風」が思い出されます。
あの曲も良いなぁ。。。懐かしいです。
今や、時代劇は、全く見なくなりました。
同士、さえきサン、こんばんは。
なるほど、ところ変わればですね。
> 幼少の頃「牡丹灯籠」のことを「ボタンを取ろう」などと勘違いしていたほどです(笑)。
わからないとそうなりますね(笑)。
> 関東地方では昨夜の強風で、ようやく当局から「春一番」が吹いたと認定されたそうです(笑)。
あ、吹きましたか。
知らなかった。
ついに来ましたね。
> 「ほんまかいな?」という感じなんですが、当局のお墨付きですから、とにかくめでたいことです(笑)。
まぁ、一瞬でも規定が満たされれば、ね。
> 明日も仕事だというのに、したたかに酔っぱらっています(笑)。
いつもの事では(笑)。
春の宵、いや、酔い加減は深き沼の如し(笑)。
夜に上手に沈殿くださりませ。
いとこいさん、こんばんはぁぁぁぁ。
> そうですねこんな方 今の時代に欲しいですね。
粋でカッコイイ。
居て欲しいですね。
> 実際のお話 駕籠はちょっと・・・馬でさっそうと 走り回って欲しいですね。
> いつの時代も痔では致し方ないですね。
現実は・・・ですね。
刺青も腕だけだったんじゃないかな。
くろすけサン、こんばんわぁぁぁぁぁ。
> 雫好きくろすけにはこの句が、いい感じで心に残りました。
はい。
さすが、雫マニア(笑)。
> 厳しい寒さに耐え芽吹いた真っ赤な牡丹の芽、やっぱぐっとくるものがありますよね。
> あの華やかな気品のある美しさ、待ち遠しいです。
そうなんですね。
やはり牡丹は特別な感じがしますね。
> 桜吹雪は英断の美!
> 遠山の金さんのように、世の中スッキリ裁いてくれる人が早く現れて欲しいと切に願います。
まったくです。
政府もマスコミも信用できません。
No title
幼少の頃「牡丹灯籠」のことを「ボタンを取ろう」などと勘違いしていたほどです(笑)。
関東地方では昨夜の強風で、ようやく当局から「春一番」が吹いたと認定されたそうです(笑)。
「ほんまかいな?」という感じなんですが、当局のお墨付きですから、とにかくめでたいことです(笑)。
明日も仕事だというのに、したたかに酔っぱらっています(笑)。
No title
そうですねこんな方 今の時代に欲しいですね。
実際のお話 駕籠はちょっと・・・馬でさっそうと 走り回って欲しいですね。
いつの時代も痔では致し方ないですね。
こんばんは!
雫好きくろすけにはこの句が、いい感じで心に残りました。
厳しい寒さに耐え芽吹いた真っ赤な牡丹の芽、やっぱぐっとくるものがありますよね。
あの華やかな気品のある美しさ、待ち遠しいです。
桜吹雪は英断の美!
遠山の金さんのように、世の中スッキリ裁いてくれる人が早く現れて欲しいと切に願います。
菩提樹さん、こんばんはぁぁぁぁ。
> 「牡丹散りて打ち重なりぬ二三片」
はい。
仰る通り、牡丹と言えば蕪村です。
> と、人口に膾炙された慣用句
> 「立てば芍薬、座れば牡丹、歩く姿は百合の花」です。
いいですよね。
芍薬と牡丹は花が開くと解り難いですね。
> 今は、昔に比べて美しい女性が多いですが、それでも、芍薬や牡丹、百合の花に譬えられるような女性は少なくなったように思うのは年寄りの審美眼のせいでしょうかねぇ?
いえいえ。
大和撫子が少ないのでは?
> 叱られることを覚悟で言わせてもらえば、今の女性には私たちの世代の女性に比べて「奥床しさ」「含羞の美」というものが些か欠けているように思われるのです。
仰る通りだと思います。
時代のセイでしょうね。
女らしさ、などと言うものなら、ジェンダー差別と怒られます。
しかし、男と女は体の仕組みも脳の構造も違うのですからね~。
私は、女らしさ、男らしさを大切にして欲しいのですが・・・。
> 遠山の金さんですが、私たちが子供の頃(まだテレビのない時代)は親によく東映の時代劇を見につれて行かれました。
> 東山の金さんの俳優列伝に、欠けている大事な人があります。
> 片岡千恵蔵です。
あ~、失礼しました。
映画では観ませんでしたからね。
片岡千恵蔵の忠臣蔵は観ました。
> あのころの時代劇俳優は粒ぞろいでしたね。
> 市川右太衛門、大河内伝次郎、長谷川一夫、片岡千恵蔵、大友柳太郎、月形龍之介、悪役では進藤英太郎、山形勲、吉田義男etc。
> ああ、懐かしい!
直ぐ顔と名前が一致するのは・・・大河内伝次郎、長谷川一夫、片岡千恵蔵です。
もっと勉強します(笑)。
Reikoさん、こんばんはぁぁぁぁぁ。
ありがとうございます。
> 牡丹は大好きな花、亡くなった父がたくさん庭に育てていました。
東洋の花の王ですね。
まさに豪華絢爛。
> 春が盛りでしたよね、それで私も6年近く前の春に引き取った子猫に”ぼたん”と言う名をつけました。
はい、晩春から初夏ですね。
猫チャン、ぼたんと言う名前、けっこういますね。
いつもReikoさんトコの猫チャンに癒されています。
牡丹と金さん
「牡丹散りて打ち重なりぬ二三片」
と、人口に膾炙された慣用句
「立てば芍薬、座れば牡丹、歩く姿は百合の花」です。
今は、昔に比べて美しい女性が多いですが、それでも、芍薬や牡丹、百合の花に譬えられるような女性は少なくなったように思うのは年寄りの審美眼のせいでしょうかねぇ?
叱られることを覚悟で言わせてもらえば、今の女性には私たちの世代の女性に比べて「奥床しさ」「含羞の美」というものが些か欠けているように思われるのです。
遠山の金さんですが、私たちが子供の頃(まだテレビのない時代)は親によく東映の時代劇を見につれて行かれました。
東山の金さんの俳優列伝に、欠けている大事な人があります。
片岡千恵蔵です。
あのころの時代劇俳優は粒ぞろいでしたね。
市川右太衛門、大河内伝次郎、長谷川一夫、片岡千恵蔵、大友柳太郎、月形龍之介、悪役では進藤英太郎、山形勲、吉田義男etc。
ああ、懐かしい!
牡丹
さぶちゃん大魔王様、こんにちはぁぁぁぁぁ。
お疲れ様でした。
はい。
この句、賛否両論あるんですが、私は好きです。
ユーモアとかを越えている「トコロに存在する名句かと。
しかし、亜流も出て来ましてね、難しいトコです。
> 一つの方向として短詩形式を、極限というと大げさかもしれませんが、多くの型式制限受容の下での言辞表現を練っていくという芸術志向。そしてもう一つが短詩形式下での制約は受容しつつも、川柳まで包含しコピー表現も可とする、言葉の大衆化への方向。自分もそうなのですが、大和言葉の美しさに気が付いてしまったときから音韻も含めて言辞、何とか習得しようと努める振りをしてきましたが、今日のカタカナ語を含めての言語のボーダレス化では、俳句や川柳の世界戦略、これも大げさかな、言語文化を通じてに日本の発信には、表現しようとするものやことがわかってもらえるという、明確な意思の言葉による伝達、その表現が無ければなりません。
> 稔典氏は子規の研究でも有名ですが、ホトトギス系の客観写生に拘らず、かと言って、主観やら観念性を高めるワケでみなく。
説教臭いモノが嫌いな方ですね。
良寛も同様でしたね。
うわべだけの、装ったもの、カッコつけ。
そんな感じがありません。
> 若き日には高尚派の詩人の難解な詩を追っていました。
それは誰もが通り道です。
> 俳句に接する前から、短詩型の偉大な詩人として芭蕉翁や大蕪村の句の奥を覗こうとしてきました。
王道は大事です。
> その心はこれからも変わらないとは思いますし、詩の造りはそれで行くつもりですが、言葉の世界をより広げていく新しい表現への模索、いろいろと広げていくことにやぶさかではありません。明治期、話し言葉と書き言葉の乖離を縮めようと吐血しつつ勤めた多くの先人も、言葉や文字を介在として成り立つ表現形式の広がりへ心根をかけられたことでしょうから。坪内さんの「うふふふふ」、草野心平さんの、「るるるるる」の様な、そんな気がしてしまいましたので、昨日のコメントにすべきを。
現在、俳句が短歌よりも有効に使っているモノ。
それは、オノマトペですね。
「うふふふふ」も「るるるるる」もある意味空想的刺激的オノマトペではないでしょうか?
> 今日は今日とて、「唇を始めて許す・・・」スケベ、芽はまだ早すぎます。せめてロリータ、蕾になってから唇を奪い、薄絹をはぐような若紫になってから褥を伴にしてください。
はい。
仰せの通りに(笑)。
> きっと大唐玄宗皇帝どんな思いで国を亡ぼすまでの牡丹を皇太子から奪い取るまでの決心をしたのかと考えると、名花や名歌への幻想、大詩人の詩想を沸き立たせることの出来事であったのか、李白や杜甫の嘆きなど微塵と砕く牡丹の芽膨らむ時期ですねえ。
はい。
花の王、牡丹。
想像はいくらでも膨らみます。
歴史を重ねつつ。
> 橘沙希さんの世界、好きなんですが、山田弘子さんの、何気ない叙景の庭先、嫉妬するほどの広がりを持つものですよねえ。
橘沙希さんは私のBlogにちょくちょく出てきます。
夜長して吐息吹きこむ紙風船/橘沙希
山田弘子さんは常連ですね。
> この牡丹、名園の牡丹園なのでしょうか、それともお裕福なお宅の、牡丹の似合う縁先。きっと、紅い牡丹の芽が常緑の茂みに映える柔らかな光の差し込むお庭なのでしょうか??女人たちの、戀を交えての生あるものへ向ける感覚、男には到達しえぬ、そのまま高みですねえ!マラルメ辺り、逆立ちしたって無理ですわー!乱暴19で詩作放棄の奥底でしょうが日本なら!
多分、引っ越し先に大切なボタンを持ってきた?でしょうかね~。
文学に関してだけじゃありませんが、女性の感性にはかないません。
さらに、心も身体も丈夫です(笑)。
女性は老いて益々華やぎ・・・すべての男は消耗品でありますよ(笑)。
オグリン先生へ
今日は今日とて、「唇を始めて許す・・・」スケベ、芽はまだ早すぎます。せめてロリータ、蕾になってから唇を奪い、薄絹をはぐような若紫になってから褥を伴にしてください。きっと大唐玄宗皇帝どんな思いで国を亡ぼすまでの牡丹を皇太子から奪い取るまでの決心をしたのかと考えると、名花や名歌への幻想、大詩人の詩想を沸き立たせることの出来事であったのか、李白や杜甫の嘆きなど微塵と砕く牡丹の芽膨らむ時期ですねえ。橘沙希さんの世界、好きなんですが、山田弘子さんの、何気ない叙景の庭先、嫉妬するほどの広がりを持つものですよねえ。この牡丹、名園の牡丹園なのでしょうか、それともお裕福なお宅の、牡丹の似合う縁先。きっと、紅い牡丹の芽が常緑の茂みに映える柔らかな光の差し込むお庭なのでしょうか??女人たちの、戀を交えての生あるものへ向ける感覚、男には到達しえぬ、そのまま高みですねえ!マラルメ辺り、逆立ちしたって無理ですわー!乱暴19で詩作放棄の奥底でしょうが日本なら!