7/17・本日・『秋櫻子忌/しゅうおうしき』・紫陽花忌。
この一言につきるやもしれぬ。
郭公や浅間の裾が雲を出づ
朝の蝉富士のくれなゐ褪せゆけり
成人の日の大鯛は虹の如し
蟇ないて唐招提寺春いづこ
降り足らぬ夕立の沖へ夜焚舟[よたきぶね]
隅田川見て刻待てり年わすれ
本日、7月17日は、水原秋桜子/みずはらしゅうおうしの忌日です。

1892年(明治25年)10月9日~1981年(昭和56年)7月17日
松根東洋城、ついで高浜虚子に師事。
短歌に学んだ明朗で叙情的な句風で「ホトトギス」に新風を吹き込む。
「ホトトギス」の【客観写生】の理念に飽き足らなくなり、「自然の真と文芸上の真」と題する論文を掲げて同誌を離反、俳壇に反ホトトギスを旗印とする新興俳句運動が起こるきっかけを作る。
また、古語を生かし、万葉調と言われる叙情的な調べを作り出し、いわゆる、印象派風の先鋭です。
「馬酔木」主宰。
別号に喜雨亭。
山口誓子、阿波野青畝、高野素十の3人とともに「ホトトギス」の「四S」。
高名な門下は、加藤楸邨(、石田波郷(、滝春一、高屋窓秋、堀口星眠、藤田湘子。
私、過去に、秋桜子の作風はあまり好みではない、と、書いたことがあります。
しかし、このごろ、大人になって心変わり致ししました。
勉強不足でした、藤田湘子に傾倒しておりますのもその要因デス。
また、加藤楸邨は、秋桜子なくして、その後の俳句の隆盛もあらず、と。
またまた、我が会は、石田波郷の系統にて、大師匠筋、敬うのは当然の大当然DEあるべしっ。
【秋櫻子忌】&紫陽花忌&喜雨亭忌&群青忌。
雲表は月夜なるべし群青忌/藤田湘子
炎天のわが影ぞ濃き喜雨亭忌/能村登四郎
旅にして遭ふ雨もよし喜雨亭忌/林翔
秋櫻子忌葡萄の露に指濡れて/瀧春一
群青へ滝こそひびけ喜雨亭忌/矢野聖峰
朝顔の紺いさぎよし喜雨亭忌/水原春郎
歌舞伎座に今瀧の景群青忌/鈴木節子
浦上の沖に雲湧く群青忌/荒井書子
紫陽花忌色なき夢に目覚めけり/徳田千鶴子
紫陽花忌万葉調の朝なりき/小栗釣月

では、秋桜子の句をアレコレ、
朝寝して鏡中落花ひかり過ぐ
啄木鳥や落葉をいそぐ牧の木々
来しかたや馬酔木咲く野の日のひかり
雪の岳空を真青き玻璃とする
陶窯が噴く火の暮れゆけば青葉木莵
瀧落ちて群青世界とどろけり
朝雲の故[ゆえ]なくかなし百日紅
ふるさとの沼のにほひや蛇苺
利根川のふるきみなとの蓮かな
葛飾や桃の籬[まがき]も水田べり
家業の病院も継ぎ、宮内省侍医寮御用係として多くの皇族の子供を取り上げたコトは有名。
DE、論議を呼んだ問題の?秋桜子の辞世の句、
死してこれほどまでに世間を業界を騒がせた俳人はいません。
その句、
【紫陽花や水辺の夕餉早きかな】
いわゆる「や・かな」俳句である。
二つの切れ字、これは本来超NG。
もちろん、当時、かなりの論議を呼ぶワケですが・・・・。
愛弟子、森澄雄曰く、
「破格のこの一句の大きさは、生涯を通して美の追求を貫いてきたこの作家の終末の一句として、
ぼくには、さきの規矩(きく)をととのえてみた作品より、確然と大きく、その不思議とともにぼくには面白い。
人間の大きないのちの自然に従うのがよかろう。直すとは烏滸[おこ]の沙汰であろう」
という、一言で落ち着きます。
面白いですWA。