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情報は正確にデス(笑)。
演歌とハワイアンじゃぁ~真逆、教えてもらって良かった。
そして、喜んでいただいてよかった。
ゴンドラの歌、いやぁ~、これも懐かしい歌ですなぁ~。
歌は世につれ・・・そして故人を思い出しますネ。
とんでもねっす(^_^;
あ、いや、そういう意味じゃないんです(笑)。すみません。
オグリン♪さんの記事で、この曲を採り上げてもらったことがすごくうれしかったんです。
おふくろが何かにつけ歌っているのを聴いていた時は「何て古くさい歌だ」なんて思って
いたんですが今ではすっかり私の愛唱歌になりました(笑)。
親父の愛唱歌「ゴンドラの唄」もそうですね。齢を取ったっていうことなんでしょうね(笑)。
あ~それでかぁ~。
で、それ以外で女性のヤツが出てきたんですよ。
女性がいかにもハワイアン風でしてね、あぁぁぁぁ、ハワイアンブームの時に、安易にアレンジをしたのだと勘違いをしたのです。
なんと、もともと、和製ハワイアンナンバーだったのですね、しかも、井上がカバーしたとは、いやぁ~、失礼致しました。
逆のイメージを持ってしまったのです、先入観念とは、なんと恐ろしいモノ。
日野てる子も歌っているんですかぁぁぁぁ。
過去に三年程、ハワイアンバンド(レパートリー20曲)のサポート演奏もやっていたのですが、演奏した記憶がなかったですネ。
まぁ~、そのバンドのリーダー(ウクレレ)がかなり若かったから知らなかったんでしょうかネ。
ご指摘ありがとうございました、気をつけます。
No title
100円紙幣が発行停止になっても、まだ数年の間紙幣が主流でした(笑)。内地(今でも
こう呼んでしまうのも道産子の習性です(笑))で紙幣を出すと大いに珍しがられたことを
覚えています(笑)。理由はわかりませんが、何となくお札の方がありがたみがあるような
気がしたからではないかと思います(笑)。
ところで、「別れの磯千鳥」は演歌ではなく、和製ハワイアンナンバーとして扱ってあげてほしいと
思います(笑)。作曲者のフランシス座波(本名:座波嘉一)はハワイ生まれの日系二世で、昭和
15年(1940年)に作曲家レイモンド服部に師事するため来日しますが、翌昭和16年12月、開戦直前の最後の船でハワイに無念の帰国となりました(その後1949年に35歳で死去)。また作詞者の
副山たか子は、フランシスの日本滞在時の恋人で、やがて来るフランシスとの別れと悲しみを
歌詞にしたものだそうです。
この曲は、第二次大戦中欧州戦線に出征した日系アメリカ人部隊(第442部隊の兵士の間で
よく歌われ、戦後もハワイ在住の日系二世の間で愛唱されて有名になりました。戦後昭和27年
(1952年)、近江俊郎がハワイ公演を行った際にこの曲を知って日本に持ち帰り、日本でも
大ヒットしたそうです。井上ひろしは後年のカバーですが、私的には日野てる子がイチオシです。
現在でも、日系人や日本のハワイアンバンドの公演では必ず歌われるナンバーです。
おふくろの愛唱歌なのでちょっと調べまくったことがありました。長文にて大変失礼しました。